『ビッグバンの父の真実』ジョン・ファレル著 吉田三知世訳 日経BP社

ビッグバンの父の真実

ビッグバンの父の真実


ダン・ブラウンの『天使と悪魔』という本(前にも書いたことがあるが、わたしは別にこの『天使と悪魔』という本を薦めるわけではない)の上巻123ページに、「カトリック教会が1927年にはじめてビッグバン理論を提唱したとき……」というセリフが出てくる。わたしはこれを読んでのけぞった。従来の静的な宇宙像と真っ向から対立する、現代のビッグバン宇宙論の母体となる理論をはじめて提唱したのはジョルジュ・ルメートルという人物で、ルメートルカトリックの司祭だったのは事実だが、しかし彼は宗教と科学が安直に結びつけられることを嫌い、自分の理論がキリスト教の「無からの誕生」「神による天地創造」に触発されたものと見られることを強く警戒した。『天使と悪魔』にこんなことが書かれていると知ったら、ルメートルは浮かばれまい……と、わたしは思った。


しかし、よくよく考えてみれば、わたしはそんなことを言える立場ではないのだった。今でこそ(サイモン・シンの『ビッグバン宇宙論』のおかげで)ルメートルの人となりを多少とも知っているから、上記のようにダン・ブラウンに対して「トンデモねー野郎だ」などと思えるけれど、ほんの十数年前までは、わたしはダン・ブラウンの記述と同じようなことを考えていたのだから。


十数年前、わたしはある人物と電話で話した内容をはっきりと覚えている。あのときわたしはこんなことを言った。「ビッグバン理論がキリスト教の教義と非常に相性がいいということに関して、日本の研究者はままったく意に介さないけど、それもどんなもんでしょうかね? 欧米でビッグバンがすんなり受け入れられたのはそういう宗教的背景もあったのではないですかね? だいたい、オリジナルなアイディアの提唱者はカトリックの司祭ですよね?」


なんでこんな会話を鮮明に覚えているかというと、言ってる当人σ(^^;)、どこかいいかげんな憶測をしているという感触があったからだ。実際、上記のわたしの発言はことごとく憶測であることがその後判明した。だいいち、ビッグバン理論はすんなり受け入れられたのではない。それどころか、キリスト教プロパガンダの匂いがするということで袋だたきにあったと言う方がまだ事実に近いかもしれない。


さらに言えば、上記発言をしたとき、わたしは漠然とながら、科学にちょっかいを出したカトリックの聖職者が思いつきで大風呂敷を広げたんだろう、ぐらいに思っていた。今となっては、穴があったら入りたいほどの恥ずかしい決めつけである。ほんとうに、ほんとうに、ルメートルには申し訳ないことをしたと思わずにはいられない。(しかし、十数年前のわたしと同じように思っている人は多いはずだ。)


『ビッグバンの父の真実』に繰り返しきっぱりと書かれているように、ルメートルが自分の宗教と科学をごちゃまぜにしたことはなかったし、その姿勢は見事に一貫していた。むしろキリスト教の影響を懸念して立ち位置がぶれまくったのは周囲の方だろう。しかしそうは言っても、キリスト教の介入を心配するのには十分な理由がある。歴史を知る者ならば、懸念しない方がどうかしている。立ち位置がぶれまくった多くの人たちは(わたしも含めて)、むしろ自然な反応をしたのだと思う。ルメートルの方が特異的なのだ。なぜ彼は、あれほど確固たる態度を貫くことができたのだろう? 宗教と科学というヤバげな領域で、しかも司祭という立場にありながら、どうしてあれほど大胆なアイディアを次々と打ち出すことができたのだろう? 


これについては、少なくともわたしにとっては、訳者あとがきで吉田三知世氏が紹介していた、ジーン・アイゼンシュタット(ルメートルの伝記作家らしい)の解釈がとても示唆的だった。アイゼンシュタットは、ルメートルが柔軟で自由な思考をすることができたのは、神を身近なものと感じていたからではないかと言っているという。

つまり、神の前で自由に振る舞ってかまわない、他の人々なら、絶対変えてはならない思考の枠組みとみなすものを変更することが自分にはできると感じていたということらしい。

ルメートルにとっては、カトリックの教えは教条にはならなかったということだろうか。


ルメートルと宗教というテーマは尽きせぬ興味の対象だが、しかし実を言うと、わたしがこの『ビッグバンの父の真実』を読んで一番興味深いと思ったのは、ルメートルの科学者としての資質である。彼が非常に数学のできる人だったらしいことはサイモン・シンの本からも感じ取れたのだが、『ビッグバンの父の真実』ではそのことがよりはっきりと打ち出されている。わたしが十数年前に憶測しように「宗教的な背景のもとで思いつきを口にした」というのとは逆に、彼はバリバリに数学の力量のある人だった。


もうひとつ重要だと思うのは、ルメートルが実験(この場合は観測というべきか)にきわめて近いところにいたということだ。この点が、アインシュタインとは決定的に違っているように思う。ルメートル自身、望遠鏡を操作したかどうかはこの本を読んでもはっきりしなかったが、少なくとも、データは多少とも自分でいじったことがありそうだ。


要するにルメートルは、数学と観測のどちらにも非常に長じた理論家だった。さらにいえば、(これは彼が宇宙論から離れる原因にもなったのだが)彼はコンピューターが大好きだった。このあたりが、アインシュタインともガモフともホイルとも違う、彼の強みでもあったのではないだろうか。


『ビッグバンの父の真実』の著者ファレルはルメートルの論文や記事に実際に当たり、彼の視野の広がりや大胆な発想をふんだんに紹介してくれる。それを読むと、ルメートルの理論家としての大胆さや先見の明には驚かされる。そして、彼の業績をわたしがほとんど知らなかったということに、正直、非常に驚かされた。ルメートルは、膨張宇宙、宇宙定数、ブラックホールなど、現代宇宙論の画期的な概念を先駆的に打ち出している。


最近まで、ルメートルの名前を知っている人は、ビッグバンの歴史に詳しいごくごく一部の人だけだったのではないだろうか? なぜそんなことになってしまったのだろう? 「無名のカトリック司祭」などと書かれることさえあったのはなぜなのか? 


ジョン・ファレルは、明快であると同時に深い洞察によって、こうした疑問に対して多くの手がかりを与えてくれる。ルメートルにまつわる「なぜ」がすべて解決することは永遠にないのかもしれないが、それでも考え続けることにはきっと意味があるにちがいない。宇宙論に関心のある人だけでなく、科学の進展に興味のある人にも、科学と宗教との関係に興味のある人にも、ぜひ一読してほしい本だ。

『世界で一番美しい愛の歴史』


うーん、このタイトル↑、なんとかならんかったんだろうか(^^ゞ
わたし的にはこのベタなタイトル、ちょっと引いちゃいます(^^ゞ


でも、ルゴフが参加しているので、ルゴフの二作品(どちらもインタビューに応える形式)

中世とは何か

中世とは何か

中世の身体

中世の身体


を買ったついでに、おまけのつもりで買ったのが、コレ。

世界で一番美しい愛の歴史

世界で一番美しい愛の歴史


ルゴフの名前が入ってなかったら、たぶん買わなかったと思う。


ところが『世界で一番美しい愛の歴史』というベタなタイトルのこの本が、非常に面白かったのである。


ルゴフの『中世とは何か』と『中世の身体』も面白かったのだが、なにぶんインタビューに応えてルゴフがどんどんしゃべっていく形式なので、中世に関する基礎体力の弱いわたしとしては、「ルゴフのこの言葉の背景にある膨大な資料というか根拠を、自分はよく受け止められていないな」というマイナスの手応えをびんびんに感じてしまい、面白くて有益ではあったのだが、自分の非力を改めて思い知らされる結果となった。いろいろと、難しかった。


それに対して『世界で一番美しい愛の歴史は』、狩猟採集時代から現代まで、それぞれの時代の専門家がリレーのように語り継いでいく形式で、ひとりひとりの分量が少ないので、かえってその時代の特徴的な様相が大づかみに描き出され、わたしのような者にもわかりやすかった。そして、「ひえーーー、知らなんだ〜〜〜」という内容がぎっしりと詰まっていた。


参加者をリストしておくと

  1. ジャン・クルタン  先史学者 仏国立科学研究センター主任研究員
  2. ポール・ヴェーヌ  古代世界の専門家 コレージュ・ド・フランス名誉教授
  3. ジャック・ルゴフ  中世史家
  4. ジャック・ソレ   近代史の専門家 ピエール・マンデス=フランス大学教授
  5. モナ・オズーフ   女性史と革命時代の専門家
  6. アラン・コルバン  感情と感覚の専門家(十九世紀)
  7. アンヌ=マリー・ソーン 現代史 ルーアン大学教授(二十世紀初め)
  8. パスカル・ブリュックネール 作家・エッセイスト (五月革命
  9. アリス・フェルキー 小説家(現代)
  10. ドミニク・シモネ  インタビュアー


どの章もみな面白かった(上のリストの番号は、章番号には対応していません)。重要な指摘がてんこ盛りだと思う。損はさせません(^^ゞ、読んでみて〜〜

the new yorker february 13&20 2006

annals of religion
THE SAINTLY SINNER
the two-thousand-year obsession with Mary Madalene
by Joan Acocella


ユダの福音書」がユダヤ人問題を提起したとすれば、ナグ・ハマディ文書に含まれる「マグダラのマリア福音書」はフェミニズムに直結する問題を提起した。キリスト教会がセクシストであることは、「ナグ・ハマディ」がどうこういうまでもなく自明のことだと思うが、しかしやはり「ナグ・ハマディ」による問題提起の力は大きかったようで、キリスト教会内の性差別主義の見直しにつながる面はあったようだし、少なくとも、マグダラのマリアの実像については大きな問題を投げかけたようだ。


というわけで、この問題について論じた上記記事の中から、マグダラのマリアに関連する歴史的流れをざっとピックアップしておさらいしておく。


ナグ・ハマディ文書公開以前


・まず新約聖書中のマグダラのマリアに関する記述だが、14カ所に言及がある。
  ルカとマルコは、彼女がイエスに悪霊払いをしてもらったと言っている。
  また、イエスに従った何人かの婦人のひとりだったと言っている。
  四つの共観福音書のすべてが、彼女は磔刑の場にいたと述べている。
  いずれにせよ、イエスが死ぬまでは、彼女の役割は小さい。


・ところがイエスが死んだのち、突如としてマグダラノマリアの役割が重大になる。
  四つの福音書の記述はそれぞれ微妙に違うが、基本的には、
  マグダラノマリアはひとり、または他の女性たちと一緒に、イエスに香油を塗るために
  墓に行った。そして、彼女(または彼女たち)に、天使またはイエスが、イエス
  復活したと告げ、弟子たちの所に行ってそのことを告げよと命じた。これによ
  ってマグダラノマリアは「使徒に対する使徒」となったといえる。
  (これについては四つの福音書すべてに記述がある点に注意。)


・ここでいきなりマグダラのマリアが重要になるため、それ以前とのギャップを埋める
 必要が生じた。(当時はほとんどの人が文字を読めなかったので、現代と違って、
 お話はどんどん創作されたのであった……。)
 なぜ、復活の知らせは、マグダラのマリアに与えられたのか?


   ちなみに、イエスは当時としてはあり得ないほど女性と男性を
   対等に扱った。しかしそれは、普通はありえないことだった。初期
   キリスト教では女性が指導的立場に立ち、イエスの男女平等主義は
   遵守された。


   しかし正統派が生まれる二世紀ごろになると、女性は脇に押しやられ
   「性」を象徴する存在となった。


   ローマカトリックが聖職者に対して独身を課すのはようやく12世紀
   だが、独身であるべきという立場はもっと早い時期からあった。
   4世紀には、キリストの母親は処女だということにされた。
   そして、男にとって純血の理想を破るきっかけとなる女は、罪の烙印を押された。


・ここで、今日の眼から見ればなかなか独創的な解決法(さほど重要な登場人物
 ではなかったマグダラのマリアが復活の知らせを聞くに
 至るのはなぜかという問題の解決方法)が案出される。


   まず、ルカに出てくる「罪深い女」(イエスの足を涙で洗って自分の髪
   でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った女)は、実はマグダラの
   マリアなのだ言われるようになる。(ルカでマグダラのマリアが初登場
   するのはこの次の節なので、距離的にも近く、同一人物だと強弁しやすい
   条件があった。)


   しかも、その初出の時、マグダラのマリアは「七つの悪霊」を追い出して
   もらっている。わたしなどが素朴にその部分を読めば、他の婦人たちと同様、
   マグダラのマリアも病気を直してもらったと読めるのだが……。
   だがその悪霊は、性と結びつけて解釈されるようになった。


   新訳に出てくるマリアたちは、「マグダラの」以外は男性との関係
   (だれそれの息子、だれそれの妻)で同定されているが、マグダラ
   のマリアだけは地名(漁業で栄えた町)である。そのため、マグダラの
   マリアはその町で、自活していた(最古の職業だろうたぶん)という想像
   が働いた。


   「キリストの復活を最初に知ったのが娼婦だった」という説と、正統派が
   展開する「純潔を守ろうキャンペーン」がどうして結びつくのか?
   と不思議に思われるかもしれない。しかしそれが巧妙に結びつくのである。
   要するに、正統派はマグダレンに手をやいていたし、イエスの教えの調は
   謙虚さだから、「主は馬小屋で生まれることを選んだぐらいだから、
   売春婦に復活を告げることを選んだのだ」ということになった。


   しかも、ルカの「罪深い女」は単なる罪深い女でなく、改悛している。
   改悛しているというのは、感心なことである。

   さらに具合が良かったのは、マグダレンと「罪深い女」を同一視すること
   により、マグダレンというキャラクターが生き生きとし、しかもその地位
   は下がることだ。この同一視(マグダレン=罪深い女)は、三世紀から四
   世紀には成立し、六世紀には教皇グレゴリウス一世によって認可された。


   かくして新約聖書でも稀な自立した女であったマグダラのマリア
   売春婦となった。


   改悛する娼婦マグダレンはキリスト教内部で絶大な人気を博し、さまざ
   まな職業の守護聖人となっただけでなく、彼女をめぐるエピソードもどん
   どん創作されていく。


・二十世紀の芸術作品におけるマグダラのマリア(ざっとリストしておく)

 
   リルケ、ツベターエワ、パステルナークが詩を作る
     (イエスとの愛情関係が歌われるが、露骨ではない。
   ミュージカル、「ジーザス・クライスト・スーパースター
     (イエスを愛する売春婦として描かれる)
   フランコ・ゼッフェレッリのTV映画「ナザレのイエス
     (マリアが客と仕事を終えたところが描かれる)
   マーテイン・スコセッシ「キリスト最後の誘惑」
     (原作はカザンザキスの小説。マリアは幼なじみのイエス
      彼女を性的に受け入れなかったので娼婦に身を落とす。
      しかしイエスは彼女が嫌いだったのではなく、十字架上で
      彼女と寝て子供を作る幻想を見る)
   メル・ギブスン「キリストの受難」
     (マグダレンは十字架の場面で泣くだけの訳で、こういう
      のはめずらしい)


・1969年、カトリック教会は聖人のリストを見直した。
  
   このとき、たとえば聖クリストフェルなど、多くの聖人が
   リストから外された。マグダレンは、解説が書き換えられ、
   娼婦ではなくなった。



ナグ・ハマディの特徴など


   ナグ・ハマディ文書の意義をひとことでまとめれば、それ以前は正統派キリスト教
   教父たちの批判を通してしか知られていなかったグノーシス派(正統派にとっては
   最強のライバルだったとも言えるらしい)の思想を、直接的に読めるようになったこと。


   特徴的なのは、
    ・天地は(神ではなく)デミウルゴスによって創造された。
    ・失楽園のものがたりはヘビ(人類の友)の視点から語られる。
    ・マグダラのマリアが中核的役割をはたす。


   マグダラのマリアは、娼婦どころか、福音伝道の主要人物であり、キリストの第一の
   弟子なのである。そして、キリストが言うには、「罪などというものはない」
   「規則などというものはない」「人はただ自分の内面を見つめるべし」そのように
   教えてイエスは去ったので、弟子たちは、「そんなとんでもないこと(罪もなけれ
   ば規則もない)を主張したのでは、自分たちは殺される」とびびって泣きわめく。


   するとマリアは「泣いたり悲しんだり疑ったりするのはやめなさい」と言った。


   ……と書いているときりがないので(面白いけど)、たいして長くもない「マグダラの
   マリアの福音書」はどこかで見ればいいことにして(^^ゞ、私が一番衝撃的だったのは
   ペテロがイエスに向かって、「どうして私たち全員よりもあの女を愛されるのですか?」
   と尋ねたところ、イエスが答えて言うには、「盲目の人も、目の見える人も、暗闇では
   同じことだ。だが、光(=自分)が現れたとき、目の見える人は光を見るが、盲目の人
   は相変わらず闇の中にいる」だってさ(^^ゞ。


   これじゃペテロは立つ瀬があるまい(^^ゞ。


   もうひとつ興味深く思ったのは、フェミニズム的観点から見たときの、グノーシス派の
   限界。ペテロが、「マリアは去るべきです。女はlifeに値しないのですから」と言った
   とき、イエスが答えて言うには、「私が彼女を導いて男にするのです。そうすれば、
   マリアもあなたたちのようなliving spiritになるのです。男になれる女は、天国に
   入るでしょう」だってさ(^^ゞ


   もちろん問題は女性の位置づけに関することだけではない。罪も規則もないという
   グノーシス派の考えでは、国家宗教にはなりようがない。言ってみれば、正統派は
   大乗仏教グノーシス派は小乗仏教みたいなもん? ナグ・ハマディの研究者である
   エレーヌ・ペイジェルス(ちなみに物理学者の故ハインツ・ペイジェルスは彼女の夫)
   は「もしもグノーシス派が主導権を握っていたら、キリスト教が生き延びていたとは
   思えない」と言っている。

        

ナグ・ハマディ文書公開以後の動向


  毎日ちょびちょび書いていたら長くなったので、あとは省略(^^ゞ


  少しだけ書いておくと、グノーシス派の福音が知られるようになって、
  人々は新約聖書と違う話をすることを恐れなくなったという面がある
  ようだ。まあ、聖書が相対化されたわけで、キリスト教内部ではそれ
  はやはり大きなことなのだろう。


  わたしとして興味深かったのは、「ユダの福音書」に描かれている
  キリストがあんまり魅力的でなかったのと同じような意味で、
  「マグダラのマリア福音書」に描かれているマリアがそれほど
  魅力的とは言えないという点だ。


  たしかに女性の地位という点では驚嘆に値するが、
  
    従来のマリア像=「改悛する美貌の娼婦」
    グノーシス派のマリア像=「教室の最前列に陣取って、
                 ハイハイハイハイハイ、と手を上げ、
                 ひとりでしゃべりまくる優等生で、
                 目立ちたがり屋の幻視体質」


  と並べてみると、うむむ、絵画や詩の題材としては、なるほど
  従来のマリア像のほうがポイント高そう……(^^ゞ



ともかく、一連のグノーシス派の作品についてこの間見てきた感じでは、キリスト教文化圏に
おいては、反ユダヤ主義への反省、女性蔑視への反省という点で、キリスト教徒ではないわた
しなんかが想像する以上に大きなの影響があったようだ(「ユダの福音書」に関しては、今後
あるかもしれない)。



*このメモを読んで下さった方へ。
 他の日のメモもそうですが、固有名詞の整合性等、いいかげんなまま、記憶
 のよすがとして走り書きしています。そのようなものとしてお読み下さい。

「新解説 ユダの福音書」ナショジオ日本版


義父がナショジオ日本版に付録としてついてきた「新解説 ユダの福音書」という小冊子を送ってくれた。この小冊子には、
・「ユダの福音書」翻訳者 マービン・マイヤー
   米チャップマン大学聖書・キリスト教学科教授、同大学アルバート・シュバイツァー研究所所長
・荒井献 東京大学名誉教授
中沢新一
の三人が記事を寄せている。


マイヤー氏は(この名前から考えておそらくユダヤ系だろう)「ユダの福音書」の背景や経緯、その内容を説明しているが、彼の話がいちばんホットになるのは、記事の締めくくり、「ユダの福音書」が反ユダヤ主義について考え直す契機になってくれれば、という思いを伝える部分だ。

 伝承や芸術の中で、ユダは金のためなら師をも裏切る“陰険なユダヤ人”の象徴として扱われ続けました。憎悪の感情を消すのが決してたやすくないことは、私も十分承知しています。しかし『ユダの福音書』がきっかけとなって、ユダヤ教徒キリスト教徒、イスラム教徒など多くの人々がともにユダと反ユダヤ主義との関係を考え直すようになれば、反ユダヤ主義をつくりあげた原因の一つを打ち壊す契機になるのではないでしょうか。『ユダの福音書』をめぐる議論がそうした役割を果たすなら、この福音書は人類の共存に大きく貢献することになるでしょう。


うんうん。ヨーロッパで系統的にユダヤ人虐殺が行われたのは、十字軍のときだったとジャック・ルゴフは言っているが、系統的反ユダヤ主義に口実を与えてきたのはキリスト教の悲しい面だ。


中世とは何か

中世とは何か


続いて荒井氏は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ(ちなみに四つの共観福音書が書かれた年代は、この順番で新しくなる。新約聖書でマタイ、マルコ……の順番になっているのには、編纂時の教会の思惑があったのだろうが、詳しい事情は私は知らない)、と時代が下るにつれて、先行する記述(マルコが出発点)に、どのように反ユダヤ主義的な歪曲・創作が付け加わっていくかを、簡潔な記事のなかで克明に明らかにしていて、たいへん読み応えがあり、説得力もある。わたし個人としては、グノーシス的作品(「ユダの福音書」)の内容よりも、こういう新約聖書の分析のほうが(キリスト教内部の変容のほうが)ずっと重みがあるような気がするぐらいだ。


ホットなマイヤー氏とずっしりくる荒井氏につづいて、中沢氏がいつものようにおしゃれな記事を書いている。タイトルは「知的な思想作家が描いたユダの“裏切り”」。


中沢氏はこの記事の中で、グノーシス研究の歴史的展開を手短に説明している。まず、第二次世界大戦ごろまでには、次のようなことがわかっていた。きわめて豊かな教養にあふれていたグノーシス派のひとびとにとって、

魅力的な新思想を生み出すことは……(中略)……打ち込みがいのある、魅力的な仕事だったろう。要するに、グノーシス文書の作者たちは、今日の私たちの世界にもその同類をすぐに見つけ出すことのできる、知的にすぐれた「作家」だったのである。


その先に研究が進んだのは、ナグ・ハマディ文書が発見されたおかげだという。

 それによって、いままで知られることのなかった多くの事実が明らかになってきた。今日では、聖書の思想をキリスト教の絶対的な真理の表現としてではなく、政治的な戦いを通じて打ち立てられた権威を支える表現として、相対化して理解することができるようになった。


それはそうだろう。しかしですね、それを言うならナグ・ハマディ文書を持ち出すまでもなく、教父時代の論考を読めば教義確立のプロセスが、もっと具体的に手に取るようにわかるじゃーん? と思うのだがどうなんだろう。たとえばこれとか。

盛期ギリシア教父 (中世思想原典集成)

盛期ギリシア教父 (中世思想原典集成)


まあ、内部を見るのと外部から見るのとでは、見えるものも違うだろう。ともかくもキリスト教の教義は、グノーシス派の文書がセンセーショナルに取り上げられたり、教父時代の文書が地道に研究されたりすることによって、相対化されてきたということなのだろう。


で、まあ、ナグ・ハマディ文書が研究されてキリスト教の教義の相対化が進んだ。では、新たに発見されたこの「ユダの福音書」にはどんな意義があるのか? 中沢氏はこれについて、「ユダの福音書」は、「十字架刑は悲劇ではなく祝祭であるべき」という、グノーシスの思想がクリアに表現されている。それが「ユダの福音書」の真価だと言う。うんうん。この見方は、キリスト教に関してどうのこうのというのでも、反ユダヤ主義に関してどうのこうのというのでもなく、グノーシス派の思想を知るという観点から見た「ユダの福音書」の意義であり、視点の取り方として実にもっともだ。


というわけで、少しずつ位相の違う三人による記事を読むことにより、「ユダの福音書」の位置づけがだいぶ立体的に見えてきたような気がする。

the new yorker august 28, 2006


ロシアの数学者グレゴリー・ペレルマンポアンカレ予想を証明し、フィールズ賞を辞退したというのが話題になっている。フィールズ賞が授与されることになったのだから、重要な貢献であることは間違いないとして、いったいそれはひとつの「重要な貢献」なのか? それとも本当に「ポアンカレ予想を証明した」のか? ペレルマンの証明にはまだ埋めるべきギャップがあるという話も聞いたような気がしたが、そのあたりはどうなのか? ピアレビューのある雑誌にはまだ掲載されてないのでは?


といったことが漠然と気になっていたところ、the new yorkerにレポートが出た。筆者はシルヴィア・ナサー(映画にもなった『ビューティフル・マインド』の著者)とデーヴィッド・グルーバーの二人だ。


結論を先に言うと、ペレルマンポアンカレ予想を証明した、ということになるようだ。きちんとした数学者がチェックしてそう言っている。


ペレルマンの証明にギャップがあると主張しているのは、ヤウという数学者(と、その門下の数学者。ヤウは、カラビ=ヤウのヤウ)。ヤウは前にもこれと類似の騒動(と言っていいかな?)を起こしている。Alexander Givental の重要な仕事(ひも理論にとってとくに重要)にケチをつけて、自分の証明をもって初めて証明は完全になったと主張したが、他の数学者はGiventalの仕事ですでに完全だったという判断を下した。(Givental自身、ヤウの論文と自分の論文を比較して、そう主張している)。


ヤウ関連の話はあまり楽しくないので止めておくが(^^ゞ、ナサーとグルーバーの記事には、ギャップには二種類あるということが書いてある。ひとつは、フェルマーの最終定理のとき、ワイルズの最初の証明にあったような種類のギャップで、そのギャップが埋められない限り、証明にはならないという類のものだ。もうひとつのギャップは、「何から何まで書ききることはできない(どうしたって省略はある)」という類のギャップである。この二種類のギャップにはつねにくっきり境界線がひけるわけではないが、今回、ペレルマン証明のギャップと言われているのは後者だ、というのがこの記事の説明である。


ペレルマンという人は実に興味深い。彼は、ロシアにずっと引きこもっていた人ではない。1990年代にアメリカで研究しており、優れた成果を上げてスタンフォードプリンストンプリンストン高等研究所、テルアビブ大学からポストのオファーがあったが、それを蹴ってサンクトペテルブルグに引っ込んだ(ロシアでの月給は、一万円相当だったとか……)。


その理由はいくつかありそうだが、まず、お父さんがイスラエルに渡り、妹もそれを追って渡る予定だった(今はもう渡ったのだろう)。それなのにお母さんが、断固、サンクトペテルブルクから動かないと言う。彼は今、その母親と一緒に暮らしている。こういう家庭の事情ってあるよね……。


もうひとつの理由は、ポアンカレ予想だけに専念するためだ。アメリカ時代のある同僚が「ペレルマンがロシアに引っ込んだのは、ポアンカレ予想に全力で取り組むためだと思うよ」と言ったので、ナサーとグルーバーがペレルマンに会ってその点を問い質したところ、「いけませんか?」という返事だったそうだ。


ちなみに、ロシアに引っ込んだからと言って彼はワイルズのように、研究の進展をとくに隠そうとしたわけではない。ペレルマンは「アイディアをシェアするのは当然でしょう」と言っている。ただ、論文を発表する前に、ワイルズは講義形式で同僚にチェックを入れてもらったが、ペレルマンにはそういうチャンスはなかった。同僚に相談できずに大きな仕事を発表するというのは、たいへんなリスクではあったろう。


ペレルマンは、数学を考える以外の政治的なことはいやでいやでたまらないらしい。記事からはそんな彼の姿がくっきりと浮かび上がる。だが、ペレルマンは、いわゆる変人とかでは全然ないようだ(ジョン・ナッシュのような人とはまるで違う)。


ひとつだけ、ナサーとグルーバーがペレルマンに会ったときのエピソードを書いておこう。ナサーとグルーバーはロシアを訪れる前に、何度かe-mailを書いた。だが返事はもらえなかった。そこで二人はとにかくロシアに飛び、ペレルマンのアパートを尋ね、郵便受けに、翌日の午後に近くの公園でお待ちしていますという手紙を入れたが、ペレルマンは現れなかった。そこでふたりは郵便受けにおみやげのお茶を入れ、質問したい項目をリストして、できればお目にかかってお話をうかがいたいと書いた。このプロセスを三度繰り返し(三顧の礼?(^^ゞ)たがペレルマンは現れなかった。ついに二人は、ペレルマンは旅行にでも出かけているのだろうと判断し、お母さんにだけでも会えるかも、と期待して、思い切ってアパートのベルを鳴らした。するとお母さんが出てきて、中に入れてくれた。ペレルマンは家にいた。ただし、e-meilもチェックせず、郵便受けも一週間見ていなかったそうで、いきなり現れた二人にびっくりしたようす。


翌日、ペレルマンは二人を案内してサンクトペテルブルクの町を四時間も歩き、風景や建物について説明してくれた。その後、オペラ座で開かれている声楽コンクールに三人で出かけた。ペレルマンはオペラが大好きで、いつも安い席で見ているそうだ。舞台は遠くてよく見えないが、「でも、この席の音響は最高ですよ」と言う。


ペレルマンは「自分はもう引退して、プロの数学者ではないです。ごたごたから身を引くには、それしかなかったのです」と言っている。ロシアの数学者ミハイル・ゴロモフはそんなペレルマンについて、次のように語ったそうだ。「科学以外のことには関わらないというのは、ひとつの科学者の理想像ですよね。ペレルマンがその理想通りに生きることができているとは私は思いませんけども、しかし彼はその理想に沿って生きたいと願っているのです」


ちなみに、クレイ研究所の100万ドルはどうするのか、とペレルマンに質問したところ、「オファーされてから考えます」との返答だったそうだ。

the new yorker, may 22, 2006

これもちょっと前の記事だが。


ダ・ヴィンチ・コード』についていろいろな論争が行われているサイトがあるそうで、そこでは、『ダ・ヴィンチ・コード』の物語は反キリスト教的だとか、不正確な記述の多いエセ歴史だとか、この程度の話に夢中になる読者は騙されやすくて程度が低いといった意見も発信されているそうだ。そういう意見自体は驚くことではないが、実はこのサイトは、映画『ダ・ヴィンチ・コード』のプロデュースに二億ドルからの金をつぎ込んだSony Pictures Entertainmentがマーケティングプロジェクトの一環として運営してるのだそうだ。


そのいきさつをかいつまんで言うと、SPE(Sony Pictures Entertainment省略してこう書く)が映画化の権利を買ったときには、『ダ・ヴィンチ・コード』は「ページをめくるのももどかしいほど面白いサスペンス」という程度の評価だったし、ダン・ブラウンに対して「すばらしい博識」といった書評も出ていた。ところがその後、キリスト教の観点からいろいろ問題があるという話が出てきて、SPEはびびった。ハリウッドにはキリスト教がらみで大失敗となった教訓がいろいろある。SPEはこのところ、鳴り物入りで売り出した作品がこけたり、良くて「まずまず」の集客力だったりして、ここで失敗するわけにはいかない(映画化の権利が高かった)という切迫した事情があった。


そこで、打てる手は何でも打とうということになり、Sitrick&CompanyというPR会社を雇った。SCは数十人のキリスト教関係者(発言力のある人たち)に接触し、「映画館の外でピケをはるより、映画を見て一緒に議論しよう」という路線で協力を要請。それがみごと項を奏して、今やこの映画には「the most controversial thriller of our day」といった宣伝文句がつくようになった、という背景があるようだ。


原作や映画に批判的な人たちも、このPR作戦には学ぶところ(や恩恵)があるようだ。原作と映画を批判するあるカトリック関係者は、「でもわたし、Opus Deiの創設者Josemaria Escrivaの伝記を書く予定なんですよね。映画のおかげで売り上げは伸びるかもしれませんね(^^ゞ」みたく語っているという。


またOpus Deiのほうも、はじめはダン・ブラウンや関係者を訴えることも考えたそうだが、方針を変え、原作と映画で得た知名度をフルに活用することにした。ニューヨークにある本部では、ガイド付きツアーを行ってオプスデイの運動について知ってもらい、映画の間違いや誤解を招きやすい点について解説をする一方、ウェブサイトでもfaqのようにして質問に答えているそうだ。(たとえば、Like all Catholics, Opus Dei members have great appreciation for monks, but in fact there are no monks in Opus Dei. とか)。サイトにはすでに何百万人もの人が訪れ、なかにはOpus Deiに参加する人もいるという。


この原作や映画に関しては「なんでこんなものがこんなに売れるの?」という観点から驚く人もいるように見えるし、それはまあ、ビッグマネーが動くところでは、作品の内実よりはむしろPRが勝負だというのはうなずける。


わたしがダン・ブラウン関連で少々考えたのは、「ヘボで大げさな文章、安っぽい展開、いんちきな博識ぶりでもいいじゃないですか。事実関係がどうであれ、ここを出発点にして、みんなで議論していけばいいのでは?」という路線の意見についてだ(THE NEW YORKERの記事にはこのような路線の意見は出てこない)。んで、少々考えた結果、わたしはこの意見には同意できない。つまり、こういう意見を言って、ダン・ブラウンの作品を推奨する気にはならない。


まず、ほとんどの人はここから出発して理解を深めたり、変えたりはしないだろう。『ダ・ヴィンチ・コード』ならキリスト教に対するバイアスのかかったイメージ、『天使と悪魔』なら科学や、科学と宗教に関するおそまつなイメージをインプットされて終わるだけだろう(だいたい、勉強するつもりでエンタメは読まない)。また、何かを手がかりに宗教や美術(宗教や科学)について考えたいという人には、いくらなんでも、もうちょっとマシな出発点があるはずだと思うからだ。

The New Yorker, April 17, 2006

少し前に(今年の春)『ユダの福音書』というのが話題になった。『ユダの福音書』によれば、ユダはイエスを裏切ったのではなく、イエスに頼まれて彼を官憲に売り渡したのだそうだ。少々気になりつつ読んでなかったが、the new yorker誌のバックナンバーに、これに関するADAM GOPNIK氏のコンパクトでわかりやすい記事があったのでメモっておく。


まず押さえておきたい基本的な点だが、


1 『ユダの福音書』はユダが書いたものではない。
2 キリスト教の文献というよりはむしろ、グノーシス派を研究するための文献と考えるべき。


ということ。したがって(話をはしょるが)、『ユダの福音書』は「大きな論争を巻き起こしそうだ」とか、「キリスト教の教義の根底を揺るがしかねない」とかいう「ダン・ブラウン風の」(←THE NEW YORKER の記事にあった言葉(^^ゞ。こういう大げさな煽り文句は、今後ダン・ブラウン風と言われるのか?)文句は信じない方がよさそう。


で、『ニューヨーカー』誌の記事で興味深かったのは、


1 『ユダの福音書』に登場するイエスはよく笑う。それも、「冷笑」というか、人を見下すようなイヤな感じの笑いだそうだ(^^ゞ。(それはちょっと、読んでみたいかも?(^^ゞ)


2 キリスト教の大きな魅力となっている倫理性が欠落していること。つまり『ユダの福音書』によれば、われわれは隣人を愛する必要はなく、単に、自分の星を追究すればいいのだそうだ。


それと、『ユダの福音書』の構図は『星の王子様』にそっくり、というのもなるほどーと思った。要するに、『ユダの福音書』の内容はわかりやすいのだ。『ユダの福音書』によって解決する謎はある( If Christ is a full menber of the Godhead and divine, how could he possibly be "betrayed", and since his death is, anyway, the pivot point of human redemption, how could he be peeved at Judas, the agent who brought it about?)。しかし、そこから漏れるものは大きい。


「聖書を整備した教父たちは、編集者として実に良い仕事をした」(つまり、『ユダの福音書』とくらべて、現在聖書に含まれている文献の宗教上の価値は大きい)というこの記事の一文には、大いに頷けるものがある。