bluebacks 相対論&量子論

アメリカ最優秀教師が教える 相対論&量子論』(講談社ブルーバックス、スティーヴン・L・マンリー著、スティーヴン・フォーニア絵、吉田三知世訳)に絡めて、量子論について(?笑)少し述べます。

アメリカ最優秀教師が教える 相対論&量子論―はじめて学ぶ二大理論 (ブルーバックス)

アメリカ最優秀教師が教える 相対論&量子論―はじめて学ぶ二大理論 (ブルーバックス)

わたしは昔、非常勤として、工学部の学生に物理学概論、医学部の学生に現代物理学を教えたことがあります。工学部の場合、とにかく計算して答えが出せるようになってもらわなければならないので、力学も電磁気も光学も、演習問題や例題を重視しながら標準的な教科書を使って講義することができました。しかし医学部の場合、ほとんど「一般教養」です。ポピュラーサイエンス的な内容が期待されているのです。その目的に合うちょうどよい教科書がなかったので、結局、自分で(泥縄で)ノートを作りながら、特殊相対性理論量子論をやることにしました。


その講義準備のときに痛感したのですが、特殊相対性理論は簡単ですが、量子論は非常に難しいです。


自分が学生のときは、量子論が難しいということに気づく前に、量子論に慣れてしまいました(笑)。でも人に説明しようと思うと、発端のところで、どうにもこうにも収拾がつかなくなったのです。説明しなければならないことが、芋づる式にでてきて(誤用?^^;)どこをどうゴマカスかで頭を痛めました。


…ゴマカスというのは半ば冗談ですが、そもそも量子論発端の問題意識が、とても一九世紀的問題意識なんですね。一九世紀の産業構造と密着しています。(それに対して、相対性理論は、時間や空間という普遍的な概念が問題になっているので、時代によるギャップがありません。)


また、相対性理論は初めからほとんど完成形で、解釈もすっきりさっぱりしていますが、量子論は、今日にいたるまですったもんだが続いています。理学部・工学部の学生なら、「問題を解いて慣れましょう」という路線が使えますが、一般教養では、その手は使えません。


で、上述の『相対論&量子論』は、ひどい教師だったわたしとは対照的な、アメリカ最優秀教師の呼び声も高い、スティーヴン・マンリーさんの本です。ブルーバックスのなかでも比較的薄っぺらな本の中に、相対論と量子論の両方が取り上げられています。


ちなみに、割と最近(春ごろ?)、マンリーさんの新作(宇宙論visions of multiverse)を読みました。そのなかで彼が、「自分がお笑い芸人にならず、物理学者になったぐらいなんだから、物理学はおもしろいんだよ」みたいに言ってました。彼のそんなキャラクターが人気の秘密ではあるのでしょうが、しかしその人気も、物理を説明をするための周到な準備があればこそだと思います。


話を戻して量子論ですが、マンリーさんはこれまでの教育経験にもとづき、量子力学のどこが難しく、どの内容が大事なのか、また、Aを説明するためにはBの理解が欠かせないといったことなど、見た目以上に周到な準備をしています。どこを飛ばしてよいのか、どこは押さえておくべきなのかが、慎重に考えられていると思いました。


一例として、黒体放射の話をしてみます。


上述の本の第8章に入って(相対性理論が終わり)、いよいよ量子論の話がはじまたので、わたしは著者がどういう切り口で量子論を導入するのか、興味深々で読み進めました。すると、まず黒体放射について、次のような定義がありました。「調べている物体(熱した火かき棒)を黒い容器に入れて実験したので、その物体が放射する光は"黒体放射"と呼ばれました。」わたしはそれを読んで(冗談のように簡単化されていたので)、椅子から転げ落ちそうになるほどびっくりしました。


わたしは思わず、「黒体放射の定義として、そんな大ざっぱなことでいいの? そこまでゴマカスの? わたしが説明するのにあるほど苦労した放射平衡はどうなるの? そんなんで、ほんまにええんか? ええんか?」と、小一時間著者を問い詰めたい気持ちになりました。


しかし、気持ちを落ち着けて良く考えてみると、逆に、著者から次のように言われている気がしてきたのです。「"黒体放射"の第一時近似は、"黒い箱に入れた放射"ですよね?(笑) 違いますか? それぐらい思いっきり簡単化できないのなら、教養の現代物理学なんて教えられませんよ?(=だからあなたはダメなんです)」


実際、著者のいう通り(わたしの妄想ですが)…なのです。黒体放射のあたりで説明にもたついていると、量子力学の講義は、本題に入る前にコケてしまうのです…。


気持ちを取り直して読み進めていくと、量子論の導入にあたる第8章で、著者がやろうとしていることが、すぐに明らかになりました。著者はここで、恐ろしくも強烈なたとえ話をします。


「9:11で、ワールドトレードセンターの北側のビルに飛行機が突っ込んだとき、それを見ていたみんなは、事故が起きたと思ったに違いありません。しかし、その直後に、今度は南側のビルにもう1機の飛行機が突っ込んだとき、みんなは確信したのです。これは事故ではない、と。それと同じようなことが、物理学にも起こりました。プランクの放射公式だけでは、何が起ころうとしているのかよくわかりませんでした。しかし、アインシュタイン光電効果の論文が出たとき、物理学界は悟ったのです。光は粒子なのだ、と。この二つの仕事が、偶然であるはずはなかったの
です。」(文章記憶で書いています(^^ゞ)


つまり著者は、プランクの放射公式と、アインシュタイン光電効果の二つを、9:11(の墜落飛行機)になぞらえ、物理学界が「これはアクシデントではない、光は粒子なのだ」という、重大な歴史的転換が起こったということを、くっきりと印象づけているのです。そうしておいて、次の第9章では、「ド・ブロイの物質波」(物質の波でもある)を扱います。

8章は「光の粒子説」、9章は「物質波」――と、ひとつの章に重要概念をひとつだけ取り上げて印象づけるためには、黒体放射にかかずらってはいられないのですよね。


量子力学はやはり難しい、しかし…わからなくても知っておいてほしい。


本書を読んでも、やはり量子力学は難しいと思いました。とくに第10章の「解釈問題」は登場人物のうち何人かは、すっかり落ちこぼれていました…。


しかし、それは(=登場人物が落ちこぼれているということは)とりもなおさず、読者に対して、「わからなくてもいいんですよ。量子力学は摩訶不思議なんです。物理学者だって良くわかっていないんですから。でも、これだけは知っておきましょう」というメッセージを送っているのですね。


わたしは、それで(=本書のような取り扱いで)いいのだと思いました。量子力学をわかった気になるなんて無理なんです。なにしろ、物理学者にとってさえ、今も未解明な部分が(根本的なところで)残っているのですから。


著者は、(黒体放射についてはバッサリとごまかしたものの)、その他の部分は意外なほどていねいに量子力学の論理を積み上げ、発展の歴史を追っています。読むのはけっこう骨かもしれませんが、読み応えもあり、必要な情報をきちんと提供していると感じました。


■現代人に必要な物理学の知識を提供


量子論ばかり書いてきましたが、相対論についても、また別の観点から同じぐらい書くことができます。いずれにせよこの本は、


1 良く考えられた内容構成である。
2 現代人が新聞の科学記事を読んだり、テレビのニュース番組を見たりするとき、話についていくために必要な物理学の知識を提供している。(相対性理論量子力学に閉じるものではない。)
3 数式もたくさん出てくるが、良く消化されている。(下手な教師が未消化のまま数式に逃げているのとは違う。)


と言えると思いました。本書は、骨格こそ相対論&量子論ですが、じっさいには(特殊相対性理論だけなく、一般相対性理論にも視野を広げて)、場の量子論、標準モデル、ビッグバン宇宙、インフレーション、宇宙の進化…話が広がっていき、現代人に必要な物理学をそうまくりしています。新聞の科学記事や、テレビのニュースなどに出てくる話がなんとなくわかるためには、たしかに(=最終章で扱っているように)、ニュートリノ、ヒッグズ粒子、ビッグバン、宇宙背景放射…といった言葉を知っておかなければなりませんものね。


というわけで、いろいろ考えさせられ、勉強になった本でした。