THE NEW YORKER イーリアス新訳

THE NEW YORKERの十一月七日号に、イーリアスの最新訳(英語訳)に関する書評が載っていました。THE NEW YORKERの書評というのは、一冊ないし数冊の本を取り上げて、本の内容紹介だけでなく、その分野の状況とか歴史も紹介してくれるので、なかなか勉強になります。

このたびのイーリアスの最新訳に関する書評も、イーリアスの内容そのものから、イーリアス研究の歴史、イーリアスのさまざまな英訳についての紹介など、たいへん興味深く読みました。その中からいくつか、頭に残ったことをいくつか書いてみたいと思います。

イーリアス・ファンとしてのアリストテレス
まず、もっとも初期のイーリアス・ファンに、アリストテレスがいるということは知りませんでした。イーリアスは、トロイ戦争の話だと一般に思われていますが、(谷本さんへのコメントでも述べましたように)、驚いたことに、アリスの審判も、へレネの略奪も、アキレウスの死も、トロイの木馬も、トロイの陥落も出てきません(^^ゞ ではいったい、イーリアスには何がうたわれているのか…というと、読んだことのある人なら即答できるように(なにしろ、冒頭に宣言されていますから(^^ゞ)、「アキレウスの怒り」がうたわれているのですね。なんだそりゃ、看板に偽りあり、と思うかもしれませんが(そんなことを思うのは、わたしだけかもしれませんが(^^ゞ)、アリストテレスは「それで良いのだ!」と言っているそうです。

なぜなら、まず、上述の諸々を全部書いていたら膨大な量になるからです。「アキレウスの怒り」にフォーカスすることで、この作品は成功している。細部にわたって、「アキレウスを怒らせるとこうなる」ということが、実は丹念に織り込まれているのだ、その意味でたいへん統一的なのだ、ということみたいです。たしかに、言われてみればその通りかもしれません。

■ヘパイストス作のアキレウスの盾は、なぜあのデザインだったのか
これについて1パラグラフ、サックリ書いてありました。その内容は大体、「アキレウスが戦場に戻るとき、すなわち死に立ち向かうとき、彼は生のビジョンで武装するのである」という感じです。うーむ、なるほど…。

イーリアス翻訳の歴史
イーリアスギリシャ語は、
1 rapidily
2 plainness of syntax and diction
3 plainness of thought
4 nobility
の四つの要素をすべて実現させることが可能なんだそうですが、英語に訳すとなると、どれかの要素を選択して、あとは捨てる、ということをせざるをえないそうです。ただしひとつ例外があって、あのアレクサンダー・ポープ(ニュートンで有名な)の翻訳は、なんとか全部の要素を拾うことに成功しており、古今東西、あらゆる言語への翻訳のなかでも、もっとも優れたもののひとつだろうと書いてあります。へぇぇ…。

■で、最新の翻訳は?
Stephen Mitchellという人の最新の英訳が、どのような方針で訳されているかというと、M.L.Westという学者の説を、とことん採用したものだそうです。ウェストは、どの時点で何がつけ加わった可能性があるかということを慎重に検討しているのですが、ミッチェルはそれを厳格に捉え、「オリジナル」と思われる部分だけを残して、あとは思いきり良く捨てているのだそうです。

たとえば、(これはかなり衝撃的なのですが)、第十巻「ドローンの物語」は全部省かれているそうです。独立した物語なので、まあ、そうなのかな(=あとから付け加えられてのかな)、と思いますが、それにしても、わたしとしては残念です。何か異様に印象的な話ですので。

■オリジナル、ということ
イーリアスの「オリジナル」と言われて、多くの人は首をかしげると思います。要するに、(書評の筆者のたとえによれば)、イーリアスウィキペディアのようなもので、最初にアップされた時にどういう内容だったかは、あまり重要ではない、ともいえるからです。

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キリがないので、このぐらいしますが、このニューヨーカーの記事を読んであらためて思ったのは、イーリアスってやっぱり大文学だ、ということでした。旧約聖書と同様、ぎょええええと思うこともたくさんあるけれど、やっぱり心を揺さぶられるのですよね。つぎはぎのキメラでも、見事なものは見事、ってことでしょうか。