the new yorker, may 22, 2006

これもちょっと前の記事だが。


ダ・ヴィンチ・コード』についていろいろな論争が行われているサイトがあるそうで、そこでは、『ダ・ヴィンチ・コード』の物語は反キリスト教的だとか、不正確な記述の多いエセ歴史だとか、この程度の話に夢中になる読者は騙されやすくて程度が低いといった意見も発信されているそうだ。そういう意見自体は驚くことではないが、実はこのサイトは、映画『ダ・ヴィンチ・コード』のプロデュースに二億ドルからの金をつぎ込んだSony Pictures Entertainmentがマーケティングプロジェクトの一環として運営してるのだそうだ。


そのいきさつをかいつまんで言うと、SPE(Sony Pictures Entertainment省略してこう書く)が映画化の権利を買ったときには、『ダ・ヴィンチ・コード』は「ページをめくるのももどかしいほど面白いサスペンス」という程度の評価だったし、ダン・ブラウンに対して「すばらしい博識」といった書評も出ていた。ところがその後、キリスト教の観点からいろいろ問題があるという話が出てきて、SPEはびびった。ハリウッドにはキリスト教がらみで大失敗となった教訓がいろいろある。SPEはこのところ、鳴り物入りで売り出した作品がこけたり、良くて「まずまず」の集客力だったりして、ここで失敗するわけにはいかない(映画化の権利が高かった)という切迫した事情があった。


そこで、打てる手は何でも打とうということになり、Sitrick&CompanyというPR会社を雇った。SCは数十人のキリスト教関係者(発言力のある人たち)に接触し、「映画館の外でピケをはるより、映画を見て一緒に議論しよう」という路線で協力を要請。それがみごと項を奏して、今やこの映画には「the most controversial thriller of our day」といった宣伝文句がつくようになった、という背景があるようだ。


原作や映画に批判的な人たちも、このPR作戦には学ぶところ(や恩恵)があるようだ。原作と映画を批判するあるカトリック関係者は、「でもわたし、Opus Deiの創設者Josemaria Escrivaの伝記を書く予定なんですよね。映画のおかげで売り上げは伸びるかもしれませんね(^^ゞ」みたく語っているという。


またOpus Deiのほうも、はじめはダン・ブラウンや関係者を訴えることも考えたそうだが、方針を変え、原作と映画で得た知名度をフルに活用することにした。ニューヨークにある本部では、ガイド付きツアーを行ってオプスデイの運動について知ってもらい、映画の間違いや誤解を招きやすい点について解説をする一方、ウェブサイトでもfaqのようにして質問に答えているそうだ。(たとえば、Like all Catholics, Opus Dei members have great appreciation for monks, but in fact there are no monks in Opus Dei. とか)。サイトにはすでに何百万人もの人が訪れ、なかにはOpus Deiに参加する人もいるという。


この原作や映画に関しては「なんでこんなものがこんなに売れるの?」という観点から驚く人もいるように見えるし、それはまあ、ビッグマネーが動くところでは、作品の内実よりはむしろPRが勝負だというのはうなずける。


わたしがダン・ブラウン関連で少々考えたのは、「ヘボで大げさな文章、安っぽい展開、いんちきな博識ぶりでもいいじゃないですか。事実関係がどうであれ、ここを出発点にして、みんなで議論していけばいいのでは?」という路線の意見についてだ(THE NEW YORKERの記事にはこのような路線の意見は出てこない)。んで、少々考えた結果、わたしはこの意見には同意できない。つまり、こういう意見を言って、ダン・ブラウンの作品を推奨する気にはならない。


まず、ほとんどの人はここから出発して理解を深めたり、変えたりはしないだろう。『ダ・ヴィンチ・コード』ならキリスト教に対するバイアスのかかったイメージ、『天使と悪魔』なら科学や、科学と宗教に関するおそまつなイメージをインプットされて終わるだけだろう(だいたい、勉強するつもりでエンタメは読まない)。また、何かを手がかりに宗教や美術(宗教や科学)について考えたいという人には、いくらなんでも、もうちょっとマシな出発点があるはずだと思うからだ。