the new yorker august 28, 2006


ロシアの数学者グレゴリー・ペレルマンポアンカレ予想を証明し、フィールズ賞を辞退したというのが話題になっている。フィールズ賞が授与されることになったのだから、重要な貢献であることは間違いないとして、いったいそれはひとつの「重要な貢献」なのか? それとも本当に「ポアンカレ予想を証明した」のか? ペレルマンの証明にはまだ埋めるべきギャップがあるという話も聞いたような気がしたが、そのあたりはどうなのか? ピアレビューのある雑誌にはまだ掲載されてないのでは?


といったことが漠然と気になっていたところ、the new yorkerにレポートが出た。筆者はシルヴィア・ナサー(映画にもなった『ビューティフル・マインド』の著者)とデーヴィッド・グルーバーの二人だ。


結論を先に言うと、ペレルマンポアンカレ予想を証明した、ということになるようだ。きちんとした数学者がチェックしてそう言っている。


ペレルマンの証明にギャップがあると主張しているのは、ヤウという数学者(と、その門下の数学者。ヤウは、カラビ=ヤウのヤウ)。ヤウは前にもこれと類似の騒動(と言っていいかな?)を起こしている。Alexander Givental の重要な仕事(ひも理論にとってとくに重要)にケチをつけて、自分の証明をもって初めて証明は完全になったと主張したが、他の数学者はGiventalの仕事ですでに完全だったという判断を下した。(Givental自身、ヤウの論文と自分の論文を比較して、そう主張している)。


ヤウ関連の話はあまり楽しくないので止めておくが(^^ゞ、ナサーとグルーバーの記事には、ギャップには二種類あるということが書いてある。ひとつは、フェルマーの最終定理のとき、ワイルズの最初の証明にあったような種類のギャップで、そのギャップが埋められない限り、証明にはならないという類のものだ。もうひとつのギャップは、「何から何まで書ききることはできない(どうしたって省略はある)」という類のギャップである。この二種類のギャップにはつねにくっきり境界線がひけるわけではないが、今回、ペレルマン証明のギャップと言われているのは後者だ、というのがこの記事の説明である。


ペレルマンという人は実に興味深い。彼は、ロシアにずっと引きこもっていた人ではない。1990年代にアメリカで研究しており、優れた成果を上げてスタンフォードプリンストンプリンストン高等研究所、テルアビブ大学からポストのオファーがあったが、それを蹴ってサンクトペテルブルグに引っ込んだ(ロシアでの月給は、一万円相当だったとか……)。


その理由はいくつかありそうだが、まず、お父さんがイスラエルに渡り、妹もそれを追って渡る予定だった(今はもう渡ったのだろう)。それなのにお母さんが、断固、サンクトペテルブルクから動かないと言う。彼は今、その母親と一緒に暮らしている。こういう家庭の事情ってあるよね……。


もうひとつの理由は、ポアンカレ予想だけに専念するためだ。アメリカ時代のある同僚が「ペレルマンがロシアに引っ込んだのは、ポアンカレ予想に全力で取り組むためだと思うよ」と言ったので、ナサーとグルーバーがペレルマンに会ってその点を問い質したところ、「いけませんか?」という返事だったそうだ。


ちなみに、ロシアに引っ込んだからと言って彼はワイルズのように、研究の進展をとくに隠そうとしたわけではない。ペレルマンは「アイディアをシェアするのは当然でしょう」と言っている。ただ、論文を発表する前に、ワイルズは講義形式で同僚にチェックを入れてもらったが、ペレルマンにはそういうチャンスはなかった。同僚に相談できずに大きな仕事を発表するというのは、たいへんなリスクではあったろう。


ペレルマンは、数学を考える以外の政治的なことはいやでいやでたまらないらしい。記事からはそんな彼の姿がくっきりと浮かび上がる。だが、ペレルマンは、いわゆる変人とかでは全然ないようだ(ジョン・ナッシュのような人とはまるで違う)。


ひとつだけ、ナサーとグルーバーがペレルマンに会ったときのエピソードを書いておこう。ナサーとグルーバーはロシアを訪れる前に、何度かe-mailを書いた。だが返事はもらえなかった。そこで二人はとにかくロシアに飛び、ペレルマンのアパートを尋ね、郵便受けに、翌日の午後に近くの公園でお待ちしていますという手紙を入れたが、ペレルマンは現れなかった。そこでふたりは郵便受けにおみやげのお茶を入れ、質問したい項目をリストして、できればお目にかかってお話をうかがいたいと書いた。このプロセスを三度繰り返し(三顧の礼?(^^ゞ)たがペレルマンは現れなかった。ついに二人は、ペレルマンは旅行にでも出かけているのだろうと判断し、お母さんにだけでも会えるかも、と期待して、思い切ってアパートのベルを鳴らした。するとお母さんが出てきて、中に入れてくれた。ペレルマンは家にいた。ただし、e-meilもチェックせず、郵便受けも一週間見ていなかったそうで、いきなり現れた二人にびっくりしたようす。


翌日、ペレルマンは二人を案内してサンクトペテルブルクの町を四時間も歩き、風景や建物について説明してくれた。その後、オペラ座で開かれている声楽コンクールに三人で出かけた。ペレルマンはオペラが大好きで、いつも安い席で見ているそうだ。舞台は遠くてよく見えないが、「でも、この席の音響は最高ですよ」と言う。


ペレルマンは「自分はもう引退して、プロの数学者ではないです。ごたごたから身を引くには、それしかなかったのです」と言っている。ロシアの数学者ミハイル・ゴロモフはそんなペレルマンについて、次のように語ったそうだ。「科学以外のことには関わらないというのは、ひとつの科学者の理想像ですよね。ペレルマンがその理想通りに生きることができているとは私は思いませんけども、しかし彼はその理想に沿って生きたいと願っているのです」


ちなみに、クレイ研究所の100万ドルはどうするのか、とペレルマンに質問したところ、「オファーされてから考えます」との返答だったそうだ。