「新解説 ユダの福音書」ナショジオ日本版


義父がナショジオ日本版に付録としてついてきた「新解説 ユダの福音書」という小冊子を送ってくれた。この小冊子には、
・「ユダの福音書」翻訳者 マービン・マイヤー
   米チャップマン大学聖書・キリスト教学科教授、同大学アルバート・シュバイツァー研究所所長
・荒井献 東京大学名誉教授
中沢新一
の三人が記事を寄せている。


マイヤー氏は(この名前から考えておそらくユダヤ系だろう)「ユダの福音書」の背景や経緯、その内容を説明しているが、彼の話がいちばんホットになるのは、記事の締めくくり、「ユダの福音書」が反ユダヤ主義について考え直す契機になってくれれば、という思いを伝える部分だ。

 伝承や芸術の中で、ユダは金のためなら師をも裏切る“陰険なユダヤ人”の象徴として扱われ続けました。憎悪の感情を消すのが決してたやすくないことは、私も十分承知しています。しかし『ユダの福音書』がきっかけとなって、ユダヤ教徒キリスト教徒、イスラム教徒など多くの人々がともにユダと反ユダヤ主義との関係を考え直すようになれば、反ユダヤ主義をつくりあげた原因の一つを打ち壊す契機になるのではないでしょうか。『ユダの福音書』をめぐる議論がそうした役割を果たすなら、この福音書は人類の共存に大きく貢献することになるでしょう。


うんうん。ヨーロッパで系統的にユダヤ人虐殺が行われたのは、十字軍のときだったとジャック・ルゴフは言っているが、系統的反ユダヤ主義に口実を与えてきたのはキリスト教の悲しい面だ。


中世とは何か

中世とは何か


続いて荒井氏は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネ(ちなみに四つの共観福音書が書かれた年代は、この順番で新しくなる。新約聖書でマタイ、マルコ……の順番になっているのには、編纂時の教会の思惑があったのだろうが、詳しい事情は私は知らない)、と時代が下るにつれて、先行する記述(マルコが出発点)に、どのように反ユダヤ主義的な歪曲・創作が付け加わっていくかを、簡潔な記事のなかで克明に明らかにしていて、たいへん読み応えがあり、説得力もある。わたし個人としては、グノーシス的作品(「ユダの福音書」)の内容よりも、こういう新約聖書の分析のほうが(キリスト教内部の変容のほうが)ずっと重みがあるような気がするぐらいだ。


ホットなマイヤー氏とずっしりくる荒井氏につづいて、中沢氏がいつものようにおしゃれな記事を書いている。タイトルは「知的な思想作家が描いたユダの“裏切り”」。


中沢氏はこの記事の中で、グノーシス研究の歴史的展開を手短に説明している。まず、第二次世界大戦ごろまでには、次のようなことがわかっていた。きわめて豊かな教養にあふれていたグノーシス派のひとびとにとって、

魅力的な新思想を生み出すことは……(中略)……打ち込みがいのある、魅力的な仕事だったろう。要するに、グノーシス文書の作者たちは、今日の私たちの世界にもその同類をすぐに見つけ出すことのできる、知的にすぐれた「作家」だったのである。


その先に研究が進んだのは、ナグ・ハマディ文書が発見されたおかげだという。

 それによって、いままで知られることのなかった多くの事実が明らかになってきた。今日では、聖書の思想をキリスト教の絶対的な真理の表現としてではなく、政治的な戦いを通じて打ち立てられた権威を支える表現として、相対化して理解することができるようになった。


それはそうだろう。しかしですね、それを言うならナグ・ハマディ文書を持ち出すまでもなく、教父時代の論考を読めば教義確立のプロセスが、もっと具体的に手に取るようにわかるじゃーん? と思うのだがどうなんだろう。たとえばこれとか。

盛期ギリシア教父 (中世思想原典集成)

盛期ギリシア教父 (中世思想原典集成)


まあ、内部を見るのと外部から見るのとでは、見えるものも違うだろう。ともかくもキリスト教の教義は、グノーシス派の文書がセンセーショナルに取り上げられたり、教父時代の文書が地道に研究されたりすることによって、相対化されてきたということなのだろう。


で、まあ、ナグ・ハマディ文書が研究されてキリスト教の教義の相対化が進んだ。では、新たに発見されたこの「ユダの福音書」にはどんな意義があるのか? 中沢氏はこれについて、「ユダの福音書」は、「十字架刑は悲劇ではなく祝祭であるべき」という、グノーシスの思想がクリアに表現されている。それが「ユダの福音書」の真価だと言う。うんうん。この見方は、キリスト教に関してどうのこうのというのでも、反ユダヤ主義に関してどうのこうのというのでもなく、グノーシス派の思想を知るという観点から見た「ユダの福音書」の意義であり、視点の取り方として実にもっともだ。


というわけで、少しずつ位相の違う三人による記事を読むことにより、「ユダの福音書」の位置づけがだいぶ立体的に見えてきたような気がする。