The New Yorker, April 17, 2006

少し前に(今年の春)『ユダの福音書』というのが話題になった。『ユダの福音書』によれば、ユダはイエスを裏切ったのではなく、イエスに頼まれて彼を官憲に売り渡したのだそうだ。少々気になりつつ読んでなかったが、the new yorker誌のバックナンバーに、これに関するADAM GOPNIK氏のコンパクトでわかりやすい記事があったのでメモっておく。


まず押さえておきたい基本的な点だが、


1 『ユダの福音書』はユダが書いたものではない。
2 キリスト教の文献というよりはむしろ、グノーシス派を研究するための文献と考えるべき。


ということ。したがって(話をはしょるが)、『ユダの福音書』は「大きな論争を巻き起こしそうだ」とか、「キリスト教の教義の根底を揺るがしかねない」とかいう「ダン・ブラウン風の」(←THE NEW YORKER の記事にあった言葉(^^ゞ。こういう大げさな煽り文句は、今後ダン・ブラウン風と言われるのか?)文句は信じない方がよさそう。


で、『ニューヨーカー』誌の記事で興味深かったのは、


1 『ユダの福音書』に登場するイエスはよく笑う。それも、「冷笑」というか、人を見下すようなイヤな感じの笑いだそうだ(^^ゞ。(それはちょっと、読んでみたいかも?(^^ゞ)


2 キリスト教の大きな魅力となっている倫理性が欠落していること。つまり『ユダの福音書』によれば、われわれは隣人を愛する必要はなく、単に、自分の星を追究すればいいのだそうだ。


それと、『ユダの福音書』の構図は『星の王子様』にそっくり、というのもなるほどーと思った。要するに、『ユダの福音書』の内容はわかりやすいのだ。『ユダの福音書』によって解決する謎はある( If Christ is a full menber of the Godhead and divine, how could he possibly be "betrayed", and since his death is, anyway, the pivot point of human redemption, how could he be peeved at Judas, the agent who brought it about?)。しかし、そこから漏れるものは大きい。


「聖書を整備した教父たちは、編集者として実に良い仕事をした」(つまり、『ユダの福音書』とくらべて、現在聖書に含まれている文献の宗教上の価値は大きい)というこの記事の一文には、大いに頷けるものがある。