『渡り鳥』パイエルス』(吉岡書店)

delphica2005-01-01



『何と少ししか覚えていないことだろう』(オットー・フリッシュ、吉岡書店)、『物理学者たちの20世紀』(アブラハム・パイス、朝日新聞社)に続いて、昨年は吉岡書店からルドルフ・パイエルスの自伝『渡り鳥』が出版された。

渡り鳥―パイエルスの物理学と家族の遍歴

渡り鳥―パイエルスの物理学と家族の遍歴


パイエルスは 1907年のベルリンで、あまりユダヤ的ではないユダヤ人家庭に生まれた。物理学のあらゆる分野に貢献し、1940年にはフリッシュ=パイエルスのメモを書き、ロスアラモスではイギリスチームのリーダーを務め、その後は、パグウォッシュ会議の指導的なメンバーになった。


このような、「物理学の時代、核の時代」の証言とも言える本が、2004年に次々と出版されたことは、わたしにとっては感無量である(なんとなく(^^ゞ)。(なお、アブラハム・パイスの本については、昨年、化学同人社の雑誌『化学』に書評を書かせていただいた。)


しかしルドルフ・パイエルスの本を特徴づけているのは、豊富なエピソードが実に興味深く描かれていることだ。この面白さは何なんだろう。実はわたしはまだ三章までしか読み進めていないのだが、次々と現れる興味深いエピソードに、できることなら仕事も何も放り出して読みふけりたいほどだ。「これは」と思う部分には付箋に簡潔なメモを書いて貼り付けているので、すでに本は付箋だらけになっている。


たとえばハイゼンベルクに関しては、その謙虚な人柄が描かれている。エラソーな教授たちもけっこう多かったなかで、(ハイゼンベルクは)「たいへん内気な性格で、もし、偶然に道で彼に出会っても、知性と情熱に輝いている彼の目に気づかなければ、誰もそこに偉大な科学者がいるとは思わなかっただろう」とある。さらには、「毎週、演習のお茶の時間に、教授(ハイゼンベルク)は近くの菓子屋に出かけていって、参加者の好みにあったケーキを買ってきた」とある。なんと、わざわざケーキを用意するとは……おどろいた^^;


ただし、当時ハイゼンベルクの助手を務めていたグイド・ベックは、「実際にケーキを買いに行っていたのは自分だ」と主張しているらしい^^; たとえそうであったとしても、助手にケーキを買いに行かせていたのは(金を払っていたのは)ハイゼンベルクなのである。


またハイゼンベルクはとても卓球が上手で、

彼の場合、試合に勝ちたいという野心の方が、偉大な科学者になりたいという野心よりも明らかに強かった。それゆえ、中国人の研究者がハイゼンベルクを打ち負かしたときは大騒ぎだった。まもなくハイゼンベルクは世界一周の旅に出かけたが、この失態を二度と繰り返さないように太平洋を渡る航海の間中、卓球の練習に励んでいたと聞いたことがある。


(^_^;)


『渡り鳥』からは脱線するが、ハイゼンベルクは何をやらせてもうまかったらしい。かつてハイゼンベルクのもとで研究を行い、『部分と全体』や『ハイゼンベルクの追憶』の訳者となった山崎和夫氏に直接お話を伺ったことがあるのだが、山崎氏は、「ハイゼンベルクは、ピアニストになっても、政治家になっても、ビジネスマンになっても成功していたのではないか。天才ではあったが、わたしたちだって必死に頑張れば、あんなふうになれるかもしれないと思わせるような、いわば理想、目標にできるタイプの人物だった。それに対してディラックは、最初から人種が違っていた」とおっしゃっていた。ハイゼンベルクが、若い頃、ピアニストになろうか物理学者になろうかと悩んだ話は『部分と全体』にも出てくる。しかし卓球もうまかったとは……^^;


しかしハイゼンベルクは決して他人に甘かったわけではない。当然だ。山崎氏によれば、ハイゼンベルクの部屋に「手ぶら」で入るわけにはいかなかったという。ハイゼンベルクは静かに、「成果は上がっていますか?」とたずね、「上がってません」とは言えない雰囲気だったという。非常なプレッシャーだったと山崎氏はおっしゃっていた。

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話


山崎氏の証言から『渡り鳥』に話を戻すと……


こういう個人に関するエピソードの引用をしはじめるとキリがないのだが、どうしても、これだけは書いておきたいと思うのが、パウリ効果に関するエピソードである。理論家のヴォルフガング・パウリは実験がひどく苦手で(当時はまだ、物理屋は実験もやるのが標準的だった)、彼が近くを通過すると実験装置が壊れるという「パウリ効果」は有名である。しかしパイエルスの本には、わたしがこれまで知らなかった(ひょっとして忘れただけなのか?^^;)パウリ効果の例が挙げられていたのである。


「パウリ効果」は周りの人に迷惑をかけるばかりでパウリ本人には影響が及ばなかったところから、周囲の実験家たちは、あるときパウリがホールに入ってきたら、ロープでつり下げていたシャンデリアを落としてびっくりさせようと計画を立てた。ところが実際にパウリがそのホールに入ってくると、装置が故障し、シャンデリアが落ちなかったというのだ(^_^;) こうしてパウリ効果は二重に実証されたのであった^^;


本書にはこのほかにも、膨大な人数の人々に関する興味深いエピソードが満載だ。もちろん物理の話もある。そしてパイエルスは文章がうまい。思わず声を出して笑ったり、にやにやしてしまったり――達者である。


さて、訳者あとがきによれば、あまりにも膨大な数の人間(それも、必ずしも有名人とはかぎらない)が登場するため、あまり有名でない人物のエピソードは割愛しようかと考えたそうである。しかし訳者である松田氏は、本書に登場するソロモンについて、『ヨッフェ回想録』中に、こんな記述があることを知る……(それを指摘したのは秋山守氏だそうな)


フランスの物理学者はみなランジュバンを父と仰いでいた。ランジュバンはいつも新鮮な学問上の理念の源であり、何弧とにも自分の全経験を傾けて援助の手を差し伸べてくれた。彼の娘むこで才能ある物理学者であり、フランス共産党員だったソロモンが、ドイツ占領軍に銃殺されたとき、ランジュバンは自分で語っていたように、ソロモンの代わりにフランス共産党に入党した。


「ソロモンが無名であるのは、戦争中に物理学よりもナチスとの戦いを優先させたからでした。現在ソロモンが無名であっても、彼のことを書いておくことは意味があると思い直しました」と松田氏は言う。


わたしはこの松田氏の決断に拍手を送りたい。結果として『渡り鳥』は本文500ページを超える長大な本になってしまったが、しかし、はっきり言うが、これはがまんして読み進めなければならないという類の本ではない。仕事さえなければ(^^;)☆\バキ、ページをめくるのももどかしいような楽しくも興味深く読める本なのだ(おそらく四章以降は、もっと興味深くなるだろう)。本書を書いてくれたパイエルスに、訳してくださった松田氏に、そして出版してくださった吉岡書店に、心よりお礼を申し上げる。