『崇高と美の観念の起原』


崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)

崇高と美の観念の起原 (みすずライブラリー)


昔、アメリカで美術館をあたふたと見て回っていた頃、「崇高」というのはクリメント・グリーンバーグが持ち込んだ観念なんだろうと思っていた。(ある一面ではそうかもしれないが)


その後、美学における崇高というと、まずカントが引用されることを知った。さらに最近、カントよりも先に(同時代人だが)イギリスのエドマンド・バークがこういう本を書いていたことを知った。


さらに本書により、三世紀のギリシアの著述家ロンギノスが『崇高について』という本を書いていることを知った。


ただし本書の訳者中野氏の訳注によれば、



彼の名と歴史上善く結びつけられている作品『崇高について』は彼の著作ではない。この著作における崇高とは本来「高さ」を意味するのであり、この作品は、真に人を感動させる文体の高さが単なる形式ではない「魂の偉大さの反映」である、という芸術的な観点から文体を論じたものである。のちに十七世紀以後に近代芸術が古典的な美と反対の方向に発展するに及んで、これを美学的に理解しようと言う要求からロンギノスのいう「高さ」が、「崇高」という美的累計の概念として採用されるに至ったものである。


なのだそうだ。


それはともかく、わたしはバークの本書を、カントでも読む覚悟で手に取ったが、まず、非常に読みやすいので驚いた。単に文章が読みやすいだけでなく、内容もわかりやすく、引用等も興味深く、あっという間に読んでしまった(読んだというよりめくったに近いが)。これにはびっくりした(^^ゞ


よみやすく、わかりやすく、興味深いのには、次のような理由がありそうだ。


1 バークが弁論術に秀でた人物で(のちに政治家になる)、本書は学術書ではなく一般向けの本だから。(だからわたしなんかにもホイホイ読める。)


2 中野氏の解説がコンパクトながらパースペクティブを与えてくれ、内容に興味がもてるようになるから(はい、最初に解説を読みました)。


3 中野氏の訳注がおもしろいから(その一端は上記ロンギノスの話でもわかるであろう)。


というわけで、このような本の場合、訳者の解説・訳注が充実しているのは、ほんとうにありがたいことである。