『誰も読まなかったコペルニクス』


本書の記述は、多方面にかなり細かい話に立ち入っているが、ぜんぜんたるまずに読ませる。ギンガリッチのうまさもさることながら、訳文の呼吸がいいんだろうと思う。文章が若々しい。本書の図版に出てくるギンガリッチの年齢から見て、「若すぎないか?」と思う向きもあるかもしれないが、わたしは、この訳文の調子はギンガリッチにすごく似合っているんじゃないかと思った。


わたしは本書の原文は読んでいなが、手元の Almagest にギンガリッチが序文を寄せていて、その雰囲気がまさにこんな感じなのだ。だらだら形式的ななことを言わず、ずばりと言うべきことを言う感じで、本の序文や推薦文は、こんな人に書いてもらったらいいな〜と思った(^^ゞ。その印象と、本書の文章の調子が合っていたので、わたしとしては納得!である。


本書には、書物というものにまつわる興味深い雑学情報が満載なのだが、以下では科学史的情報に絞ってメモしておく。


  なお、本書は原典に当たることの重要性を再確認させてくれる。
  「コペルニクスが何を書いたか」だけでなく、「読み手が何をメモしたか」
  も重要なのだ。自力ではここまでは絶対に出来ないだけに、ギンガリッチが
  本書でやってみせてくれたのは、実に得難い間接的経験(?)だった。 



・「金星の満ち欠け問題」の誤解を生んだいきさつに関する詳細な記述。p.182
コペルニクスが金星の満ち欠けを予言したというデマ(^^ゞの由来)
・p.204 あたり、『知識革命の系譜学』とも密接に関係する「仮説」概念の、今と当時との違いについて。(当時の仮説は、今と違って経験的裏づけをもつきっちりしたもの)
・当時の人々が注目したのは、コペルニクスの説は「エカントを除去した点」だったこと。(つまり、理想的な円のみによって惑星運動が記述できるという点が良いという、古代的な美意識を復活させた点。コペルニクスは「天の運動=円であるべき」を貫徹させた。)
プトレマイオスの体系は、コペルニクスの体系にくらべて「円がいっぱい」というのは、誤解である。



また、p.241あたりからのエドワード・ローゼンに関する話は面白かった。ローゼンはコペルニクス研究の権威であるが、あるとき、若い研究者とリムジンに乗り合わせ、その研究者が不用意に言ったことのために、車を降りるときには、二人は口も聞かない仲になったという。


その研究者は、「コペルニクスとレティクスは占星術をめぐる会話もしたにちがいない」という趣旨のことを言ったのだ。わたしから見れば、当時の知的状況から考えて、コペルニクスとレティクスが占星術をめぐる会話をしなかったなどと考えるほうがよっぽどヘンだと思うが、



だがローゼンにしてみれば、そんな会話があったと考えること自体、許すべからざることだった。彼にとって、コペルニクスは、占星術で言うような惑星の影響などという概念に冒されていない近代の科学者の鏡のような存在だったからだ。


ローゼンはそれほど大昔の人ではないだけに、これはなかなか衝撃的なエピソードだ(これまた、科学革命をめぐる色濃いメガネになっているような気がする)。


しかし、ローゼンのこの反応よりもいっそう興味深いのは、(時代的には占星術の話ぐらいして当然なのに)、コペルニクスの書いたものには占星術に関する記述がまったくないということだ。ガリレオでも(これも、一部の人にとっては抹殺したい事実かもしれないが)、ホロスコープを書いている。しかし、残っている記録によれば、たった一度だけ。


コペルニクスガリレオも、占星術なんか信じていなかったと頭から決めつけるよりも、当時の大学教育の内容や、医学の内容などもきちんと踏まえた上で、それでもコペルニクの「書いたもの」に関しては、占星術に関する記述はないこと、ガリレオは(メディチ家への)就職活動がらみでひとつだけ書き残していることをきっちり調べる方がずっと面白いと思う。


(かきかけ)