『知識革命の系譜学』大出晃

知識革命の系譜学―古代オリエントから17世紀科学革命まで

知識革命の系譜学―古代オリエントから17世紀科学革命まで


■仮説演繹的検証の方法はいつ生まれたか

アリストテレスの論理学や、方法論の基礎に論理学がある中世の文献(の翻訳(^^ゞ)を読むと、論証のトーンがきわめて断定的であることに違和感を覚える。「何なんだろう、この断定的な調子は?」と、漠然とながらずっと感じてきたが、「単なる口調」あるいは「翻訳のトーン」も関係があるのかな? ぐらいに思っていた。


このたび『知識革命の系譜学』を読んで、どうやらあの断定的な調子は、「口調やトーン」の問題ではないということが、おぼろげながらわかってきた。(おぼろげにしかわからないのが、大出氏のせいではなく、わたしの頭が悪いからデス(^^ゞ)


   ちょっと時代は下るが、デカルトのあの傲慢とも思えるような
   断定的な調子も、単に彼のキャラクターといったようなもので
   はないのかも? などと、いろいろなことを考えてしまった。


大出氏によれば、アリストテレス以降、ごく最近に至るまで、「確実な前提からの確かな論証」という学問的方法論が採られていた。これは、ともかくも何か仮説を立てて、実験によって検証するという、今日の科学がやっている「仮説演繹的検証」の方法とは非常に違う。わたしはどっぷりと、この仮説演繹的検証の方法に浸っているので、本書を読んで愕然とした。


古代中世はともかく、ガリレオだが、彼の方法論は、



基本的に伝統的な「復帰論」にもとづいていて、「事実による論証」によって発見した確実な原因から、「根拠による論証」によってもとの事実の説明を与えるという構造に、彼は信頼をおいていた。そして、信頼性の乏しい「仮説」から出発して、その真偽を実験によって確かめるという「仮説演繹的検証論」とそいて学問観を有してはいなかった。また、ガリレオは発見した原因にもとづいて未来事象を予見するという意味での「前向きの必然性」をはっきりと主張することも、その考えを応用することもなかった。彼は既知の実験結果とその原因の解明、およびそれによる説明に満足していたと思われる。(p.217)


言われてみれば確かに……。


また、本書の文脈で見ると、ニュートンについても「なるほどそういうことか」という点がある。



よく引かれるニュートンの言葉、「われは仮説をつくらず」(Hypothesem non fingo)は、物理理論そのものを大きな仮説と考える現代人の思考から見れば、当を得ないテーゼと思えるが、ここで含意されているのは「経験的根拠のない命題を主張したことはない」ということである。(p.241)


大出氏は本書の前半で、アリストテレスの論理学の構造を緻密に論じていて、それが学問の方法論にずっと影響を及ぼしていた、という主張は、たいへん説得力があると思った。


しかし、ガリレオニュートンが仮説演繹的検証の方法を取っていなかったとすれば、彼らと今日のわれわれとの方法論上のギャップは大きいわけで、いったいどういう過程を経て、このギャップが歴史的に埋まってきたのかはわたしにはまったく見当がつかない。


本書は古代から17世紀のいわゆる科学革命までを視野に入れているため、そこのところは本書を読んでもわからない。大手氏が本書でやろうとしたことは、



……実験は単に新しい法則を発見する目的でなされるにとどまらず、新しく構成された法則を検証し、もしそれが不成功に終われば廃棄されざるをえないという性格をもっているということ、しかし今名前をあげた巨匠たち(del注:コペルニクスケプラー、ハーヴェイ、ガリレオニュートンデカルトライプニッツホイヘンス、ボイル)が必ずしもその点を自覚していなかったのではないか、という私自身の疑問を、ギリシア以来の伝統的学問観のもつ欠陥という視点から検討してみたかったのである。(p.224)


つまり、やはり17世紀まで、なのである。


パスカル

大出氏は、今日のわれわれの科学的方法論が、いつ、どのように確立していったかは本書では扱っていないが、しかし、誰が初めて意識的に、仮説演繹的検証という方法論を採ったかについては、具体的な名前を示している。それは、パスカルである。



ここで得た結論は、ガリレオニュートンもまたこの欠陥の自覚から逃れられず、わずかにブレーズ・パスカルのみが新しい「仮説演繹的体系」という真に近代的な科学的方法に到達しているというものなのであった。いままで科学革命の記述は、もっぱら偉大な科学者たちの革命的な業績に目を向けてなされることが多かったと思われる。しかし、私は科学革命というものが、実はそれ以前の学問観の変革に依存していると感ずるようになった。そしてその変革は、もっぱら既存の事実からそれを生み出す「確実な事象」をとらえることに集中していたギリシア的・アリストテレス的な学問観から脱却すること、人間が意図的に自然から聴き出した実験的事実にもとづいて発案した「仮説」をふたたび実験によって検証する近代的な仮説演繹的方法へと変換することであって、そのために必要であったのが、まさしくアリストテレス的学問観の枠組みそのものの変革であった。(p.244)


17世紀科学革命というのは近代科学の出発点になったわけだが、そのあたりの歴史観には、どうも分厚い色眼鏡がかかっていたり、キー概念が手あかにまみれたりしているような気がして気になるが、大出晃氏(『痴愚礼讃』の訳者でもある)はこれについて次のように語っている。



思えばこの十何年、近代科学の成立過程の問題が、なんとはなしに私の心にわだかまっていた。その主な理由はアリストテレスの学問観がガリレオによっていとも簡単に放棄され近代の実験的科学が十七世紀前半に忽然と姿を現したといったような科学史的記述が、なにか附に落ちないものを私に感じさせたからである。(p.235)


わたしにとっては、十七世紀科学革命がらみで、「色眼鏡孫引き系」の記述はもうたくさんなのであって(^^ゞ、本書のようにきっちりと原典に立脚したものを読みたい、と切実に思う。