『心は実験できるか』ローレン・スレイター著 岩坂彰訳 紀伊國屋書店

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

お友達の岩坂さんの訳書。表紙を見てまず、おどろおどろしい装丁に驚いた(^^ゞ。ここに挙げた写真には帯がついていないが、帯がまた血塗られた感じでおどろおどろしい。「これはホラー本か?」という感じ。題材は心理学実験だそうだから、このおどろおどろしさは、人間の心理のおどろおどろしさなのか、それを実験する心理学のおどろおどろしさなのか、はたまたその周囲を取り巻く社会のおどろおどろしさなのか……などと、読む前にあれこれ考えてしまった(^^ゞ。


しかし読んだ結果は、装丁から受けた印象とはかなりちがって、著者ローレン・スレイターが、科学的アプローチにも人間そのものにも信頼を持っている人なので、読み終わったときに一筋の光が感じられ、明るかった。後述のように、ちょっと後味が悪かったのは、十の話題のうちのひとつだけだった。


心理学というと、とにかく幅がひろく、精神分析やら臨床まで入れるとほんとに話題が豊富で何から手を付けていいかわからないぐらいだが、本書の重要な特徴は、実験心理学だということ。これは、読み終わってはじめて、大きなポイントだということがわかった。ここに取り上げられた10の実験を知っておくことは、けっして損にならないと思う。ぐいぐい読めるし、お勧めです。


具体的にいうと、


1 スキナーの条件付け実験
2 ミルグラム服従実験
3 ローゼンハンの病院潜入
4 ダーリー&ラタネの傍観者
5 フェスティンガーの認知不協和
6 ハーローのサル愛情実験
7 アレグザンダーの鼠の楽園
8 ロフラスの偽記憶実験
9 カンデルの神経強化実験
10モニスのロボトミー


このなかでわたしが事前に知っていたのは、2のミルグラム服従実験と、8の偽記憶実験だけだった。ミルグラムのほうはナチスがらみで有名。ロフタスのほうは、実は十年以上前に the New Yorkerで関連記事を読み、非常に面白かったので鮮明に覚えている。その記事はのちに単行本になり、著者ローレンス・ライトはその記事で賞を取り、比較的最近(1999だが(^^ゞ)邦訳されたが(『悪魔を思い出す娘たち』)、私は邦訳は読んでいない。アマゾンの評はあまり良くないみたいだが、私は、この記事はとてもよく書けていると思った。(手に汗握って読みました(^^ゞ)で、その事件のなかで、ロフタスの実験がキーになるのである。


んで、実をいえば、後味が悪かった一篇というのが、このロフタスの話なのだ。ローレン・スレイターの書きぶりだと、エリザベス・ロフタスの業績よりは、彼女の「へんさ」が強調されてしまうと思う。しかしわたしに言わせてもらえば、ロフタスがヘンなら、みんなヘンだと思う。こういう扱われかたをしたら、ロフタスは納得がいかないだろうな……と思っていたら、訳者あとがきによれば、やはりロフタスからクレームがついたそうだ。スレイターとロフタスのあいだで、言った、言わないの水掛け論になっているらしい。


ロフタスの件は第三者のわたしでもひっかかったが、それ以外は、心理学者の紹介や社会状況の説明、その後の反響など、幅広い視点から見ることができて非常に有益だった。著者がちょっと情緒的だなと思ったところもあるが、しかしそれもまた読ませる一つのウデなのだろう。


この本を読むまで知らなかった8件のうち、一番考えさせられたのが10のロボトミー。二番目が6のサル実験。また、ミルグラムの実験は知っていたけど、それほどまでに学界から非難されたとは知らなかった。ミルグラムの実験の役割(心理学実験としての問題点や、学界の評価はともかく)ということで、これまた考えさせられた。



【追記】2005.11.23
岩坂さんとメイルでやりとりがあった。わたしが書き落としたことで、とっても重要だと思う点を彼が取り上げて書いてくださったので、もったいないからここに引用させていただこうと思う。

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(岩坂さんからの私信より)

 私が内容的にいちばん思い入れがあるのは、ダーリーとラタネの
傍観者実験です。責任分散という現象を「知っているだけ」で行動
が変化する、ということをこの本で知ったために、私自身のとっさ
のときの勇気の持ち方が違ってきました。
 知識と行動の変化については、ミルグラムの被験者のその後で詳
しく書かれてますが、あれだけのことがあれば変わるのは当然だろ
うと思われるのに対して、傍観者の付加実験では、傍観者実験のフィ
ルムを見るだけで変わるのです。そして実際私も、この本で読んだ
だけで(ダーリーとタラネの『冷淡な傍観者』も読みましたけど)行
動が変わった。しかも、実験について知っただけでなく、実験を知っ
た学生たちの行動が変わったという報告に影響された面がある。
 そういうことを考えると、いろいろな批判はあるけれども、スレ
イターのような「創造的ノンフィクション」を訳す意味はあるな、
と思うのです。

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