The New Yorker July 11&18, 2005

THE MISSING MADONNA
The story behind the Met's most expensive aquisition
by CALVIN TOMKINS

ご飯食べながらこの記事を読んで、ニューヨークを再訪したくなった。


大英博物館では、おそらく誰もが思うであろうように、わたしもまた「ここは盗品展示場だ」と感じたが、メトロポリタン美術館を見ると、「アメリカって、金あるな〜」と思う(^^ゞ


そのメトロポリタンがドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ (1255?-? 1318)の聖母子像(Maddonna and Child)を購入した。購入価格は45〜50million ドルらしい。50million ドルってことは、五千万ドルだから、簡単のために1ドル100円として、ええと、50億円かな(^^ゞ 小さな作品だ(縦11インチ、横8インチ)
http://www.metmuseum.org/special/Duccio/duccio_more.htm


元の持ち主はブリュッセルのストクレ家らしい。ストクレ家といえば、ヨーゼフ・ホフマンが設計し、クリムトなんかが装飾したことで有名なストクレ邸の持ち主だ。すごいもんいろいろもってるらしい(^^ゞ。傾向としては、まさに珠玉と言えるような小品が多いそうだ。


そのストクレ家はこのドゥッチョを公的な美術館に売りたいと考えたので(個人所有にしたくなかった)、ロンドンの美術品競売商のクリスティーズは有力ないくつかの美術館に打診した。ロサンゼルスのポール・ゲティ美術館(石油王が作っためっちゃきれいな美術館だ)は、金はあるはずだが降りた(まあ、ここらへんの判断はいろいろあるだろう)。そこでメットのライバルはルーブルだけになったのだが(ルーブルはどうにか金出せる)、ロンドンに飛んだメットの館長フィリップ・ド・モンテベロは二時間ほど実物をよく検討した結果、即断^^;。その場で「買う」と言ったらしい(これにはクリスティーズもびっくりした)。もちろん形式的には彼はメットの管財人たちに許可をもらわないといけないのだが、クリスティーズがストクレ家に連絡してあれこれやるはずの一週間のうちに許可は取れると踏んだのだ。


実際、ド・モンテベロに与えられている権限というか、彼が獲得している信用というか、やっぱりすごい。メットの館長ってモンスターだよね。ド・モンテベロの前任者は、あのトマス・ホーヴィングだ。ちなみに、トマス・ホーヴィングがメットを辞任した理由はまさにドゥッチョなのだそうだ。今、マンチェスターにある磔刑の競売があったとき、管財委員会は $3.14millionまで出していいといったん決断したのに、その後に撤回して競売から降りた。これに激怒したホーヴィングは、出先の外国から帰国するなり「やめる!」と言ったそうだ。(その後引き継ぎのために1年間留まったらしいが。)なお、この「磔刑」は今日ドゥッチョその人の作ではなく、弟子で、the Master of Citta' di Castelloと呼ばれる人物の作品とされている。


メットがこの聖母子像を買ったことに対し、たくさんの人からド・モンテベロにお祝いの手紙やメイルが届いているらしいが、彼が一番感動したのは、トマス・ホーヴィングその人からの手紙だ。ホーヴィングはこう書いていた。Finally, the Met has its 'Mona Lisa'.


ニューヨーカーの記事には、この作品のどこがどうすごいのかも詳しく説明されているが、まず、保存状態が奇跡的に良い。ひとつには管理がよかったからだが、ドゥッチョの技術の高さもあるようだ。あと、なによりも様式の変化という点で、(登場人物の一人曰く、"This is the real thing: paintin is no longer an illustration but something that attempts to evoke a human response from the viewer")まさに転回点となる作品と位置づけられる。小品ながら、圧倒的な迫力がある作品だという(そのへんは実物を見ないとわからないので、ああ、ニューヨークに見に行きたいと思うわけだ)。


ちなみに、メットの特別展はガラガラだったそうだ。やっぱりダ・ヴィンチだとかゴッホだとかいうとすごい入りになるらしい。そのへんはアメリカも日本も同じだな。


ところで様式革命ということでいうと、記事の登場人物の一人が、「この革命のほんとうの創始者はドウッチョ(シエナ派の創始者)でもジョット(フィレンツェ)でもなく、ダンテだ」と言っている。そうなのか……。どうもわたしはダンテ(1265-1321)と相性が良くなくて(^^ゞ、岩波文庫も頭が痛くなって読むのつらいし(だから「神曲のなかでジョットやチマブーエとケンカする?シーンがある」と言われても、すぐにはわからないわたしなのだ)、キリスト教のエグさや、ダンテの性格のイヤさばかりが鼻についてしまう(^^ゞ。英国のチョーサー(1343?-1400)とはえらいちがいだ。(チョーサー好きです。)


ダンテのすごさが自分にはわからないというのが気がかりだが、この記事を読んでも、やはり(ひとことで言えば)「イタリア語で書いたってことが革命的だった」という話のように思える。ふむ。