『アルマゲスト』

アルマゲスト

アルマゲスト


いまさらだが、『アルマゲスト』の邦訳を手に取ってみた。1813-1816年にフランスのニコラス・アルマ(1756-1830)が、ギリシャ語とそのフランス語訳とを対照した本を出版した。アルマは、グリネウスの1538年本を底本とし、それに四つのギリシャ語写本を参照して校訂を行い、こうしてできたギリシャ語原典からフランス語訳を作った。このフランス語訳をもとに訳出されたのが(つまり重訳)、この藪内訳『アルマゲスト』である。


藪内氏は1982年にこの版が出るに際し(初版は1949年)、

日本でも優れた訳書が若い研究者の手によって出版されることを望んでいる。それまでのつなぎとして、この再版が役立ってくれることを願っている。

と書いておられるが、わたしは藪内氏がこの訳書を出してくださったことを、ほんとにありがたく思う。京都大学学術出版会西洋古典叢書の出版計画には『アルマゲスト』のギリシャ語からの訳出も上がっているが、いつ出版されるのかは不明である(早く出してくださいっ!)。それまでは、『アルマゲスト』の全体像を日本語で見せてくれるのは、この藪内訳だけなのだ(わたしが知るかぎり)。


アルマゲスト』の概念的枠組みを知るだけなら、第一巻の第一章から第七章まで、訳書のページ数にしてわずか14ページを見るだけで良いとも言える。この部分は、やはり、解説ではなく、プトレマイオスの書いたとおりに(日本語訳ででもいいから、書いたとおりに)見ておくのがよいと改めて思った。しかし概念的枠組みの設定だけでなく、それに続く膨大な数学的準備とデータの整理も、こうして目の当たりにするとずっしりと重く感じる(邦訳で580ページだから重量としても実際重いのだが(^^ゞ、それだけでなく、学問としての蓄積が重い)。そしてその明晰さに感銘を受ける。藪内氏の解説から少し引用しておく。

 第1巻の「まえおき」から第7章までは一般の読者にとって最も興味ある部分であろう。ここで当時の支配的宇宙観であった天動説が説かれている。地動説が唱えられてから400年以上も経過した現在では、天動説は古代の幼稚な天文学者がかってに考え出した独断であろうと思う人も多いであろう。しかし本文を読んでみるとそうではなく、そこではいろいろな観測事実や当時の学者の合理的な推論から見てどんなに天動説が妥当であるかが力説されている。その論証の仕方には、いくぶんおかしな点があるにしても、これが西暦2世紀のころに書かれたものかと疑うほどの新鮮さがあって、今さらながら西洋科学の伝統の古さを認めざるを得ないのである。


わたしは、人に(または学校で)教えてもらって地動説を知っているだけの人間が、プトレマイオスを軽んじるようなことを言ってはいかんと思う。プトレマイオスはエウクレイデスと同じく、分厚い学問の蓄積の上に立ってこの書を(エウクレイデスの場合は『原論』を)著した。これを超えるには、学問のインフラみたいなものの充実が必要なのであって、時間がかかるのは当然だろう。その間のヨーロッパ世界の状況を考えれば、「千年以上も墨守してきた」みたいに言うのは、やっぱりおかしい。そして、アリストテレスプトレマイオスの説のことを、「机上の空論」などと言うことは、絶対におかしい。


ウェブで検索したら、高校の授業でアルマゲストを扱うという試みがあった。わたしは、その授業を受けた高校生をうらやましく思った。