『奇想天外・英文学講義 シェイクスピアからホームズまで』

故あってこの本をめくりはじめたら、いきなりプロローグのはじめでニュートンが出てきた。一瞬、「またかよ(--;)」と思った。わたしのこれまでの狭い経験では、文学がらみでニュートンが出てくるとろくなことはなくて、たいがい「ニュートン嫌い!」という話になるからだ。やれやれと思いながら読み進めてみたら、全然違った!


ここに書いてあるのは、願望まみれの愚痴に与する話でも、ひいきの引き倒しか?と思うような解説でもなく(←うまく説明できてません<(..;)>)、概念の歴史をきっちり見ている。そーか、こういう研究をちゃんとやっている人がいるんだ、と思うと同時に、そんなことあたりまえじゃないかとも思った。文学者をバカにしてはいかん>自分。


そう、高山氏がいうように、文学のなかに閉じていて文学史がやれるはずはない。世の中のあらゆる動きの中に位置づけてこそだ。

こうした変化は、文学だけをいくら調べても、説明できない。ニュートンの『光学』が少なくとも一つ大きなきっかけになっていることを知れば、かつての英文学史がいきなり超えられる。

……

文学はその中で自足するものではなく、我々の想像以上に密に外の世界と確実につながっている。

↑こんなふうに引用すると、「当たり前じゃん」と思われるかも知れないが、高山氏の本を読めば、きっとあなたも(もしまだ読んでいないなら)目が開かれる思いがするはず。


文学の話にニュートンが出てきてやれやれなんて思うのは、単に私が不勉強だったからなのだ。なにしろわたしは高山氏が高く評価するマージョリー・ニコルソンも知らなかったぐらいなのだから。


高山氏は、マージョリー・ニコルソンの著作は全部読めと言っている。全部は無理だけど、すぐに何冊か読みますっ!