『磁力と重力の歴史 3』

磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり

磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり


近代に近くなるにつれて、わたしのほうの科学史の知識も増えてくるので、面白さもひとしおだ。とくに、第2巻の最後に現れるデッラ・ポルタから、第3巻の最初のギルバート、そしてケプラーにつながるあたりは、「知っているべきだったのに知らなかった重要なこと」がたくさんあって、愕然とした(ちなみに、知らなかったのはわたしが不勉強だったからばかりではなく、後述のように、これまでの科学史マダラボケ状態だったからだと思う)。


とくにそれを強く感じたのは、ケプラー自身の畢生の大作『コペルニクス天文学の概要』第四巻で次のように述べていることだ(p.711)

私は、私の天文学の全体を、世界についてのコペルニクス仮説とチコ・ブラーエの観測と、そして最後にイギリス人ウィリアム・ギルバートの磁気哲学から創りあげた。


コペルニクスとチコ・ブラーエは周知の事実だが、なんでギルバートはすっぽり抜け落ちているの??? ケプラー自身がきっちり3人並べているのに。そして、ギルバートの磁気哲学とは??


ギルバートの磁気哲学に関する記述は、この第3巻のなかでもとりわけ面白いところだ。著者は次のように述べて、慎重に、ギルバートの哲学を追っていく(p.628)。


 さてギルバートの磁気学であるが、実は『磁石論』の論述は前後し重複し、その錯綜の中から論理の筋目を読み取り前提と結論を選り分けるのはたいへん困難である。そのためこれまでの科学史では、『磁石論』は論者に都合のよいところだけが取り出され、一面的な像が描かれるきらいがあった。


そこで著者は、かなりのページ数を割いてたんねんに『磁石論』を見ていくわけだが、ギルバートの磁気哲学のコアは、物活論&霊魂論的地球像なのである。ギルバートはこう述べている。
(p.668)

創造主の驚くべき知性によって、本源的な霊魂の力が地球に植えつけられているのであり、かくして地球は決まった方向をとり、両極はそれを両端とする軸のまわりに日周運動が可能になるように正しく相対しておかれている。両極は本源的な霊魂の支配によって一定の方向に維持されているのである。


これを受けて著者はこうつづける(p.668)。

 これこそがギルバートの磁気哲学全体の核心にある地球像であった。ギルバートを近代実証科学の創始者と持ち上げてきたこれまでの通常の科学史がそしらぬ顔で無視している箇所である。いや「『磁石論』の最後の部分の推論はその著者の前の方での議論とまったく矛盾しているために、なぜこの部分がつけ加えられたのか理解するのが困難である」と零す論者もいる。そればかりか「地球の磁気哲学はあまりにも空想的なので、ギルバートの『磁石論』の科学的な意義をかなり低減させている」と嘆く者さえ少なくない。


そうなのだ。つまりこれまでの科学史では、「理解できないもの、自分にとってわかりにくいものには蓋」だったのだ。しかし、それは科学史だけの問題ではなく、歴史にからむあらゆる認識の限界なのだろう。いや、おそらく「歴史に絡む」という条件をはずして、あらゆる人間認識の限界なのだ。その限界を意識することが、面白さの第一歩なのだろう。


ギルバートの霊魂論的地球像をきっちり受け止めなければ、ケプラーのすごさも楽しめないし、近代科学の枠組だってやせ細るし、(ちょっと時間をさかのぼるが)アリストテレスのすごさもわからないにちがいない。

ほんっっとに、山本さんはケーススタディーのもつ威力で、わたしにすごいものを見せてくださった。

山本さん、ありがとうございます!


とこで、わたしは本巻を読んで、ケプラーに対する見方が大きく変わった。通常、ニュートンが成し遂げたと言われることを、ケプラーがほとんどみんなやってしまっている。もちろん、ニュートンのプリンキピアを多少とも読んだことがある者ならば、ニュートンとそれ以前とのあいだに広がるグランドキャニオンのような断崖絶壁を感じるだろう。それはそうなのだが(だって数学力があまりに違う)、ケプラーってすごい人だ。ケプラーが好きな人も嫌いな人も、何とも思わない人も、ぜひ本巻を読んでほしい!!