『北方民族文化誌 上下』オラウス・マグヌス 渓水社

わたしは、人口三十万規模の都市では世界一降雪量が多いといわれる市に住んでいる。だから冬ともなれば否応なく雪に向き合い、雪と戦って暮らさなければならない。はっきり言って、雪はもうたくさんだ。とは言いながら、雪にはどうも憎みきれないところがある。おそらくその理由は(わたしにとって)、心が洗われるような白い姿で降ってくること(空からの手紙!)。そして、美しい結晶をもつことだろう。


雪の結晶があのように美しい形をしていることを、はじめて書き残したのは誰だろう? この問いに対する一般的な答えは(文献が発掘されれば答えも変わってくるのだろうが)、どうやら十六世紀のオラウス・マグヌスらしい。オラウス・マグヌスは1490年にスウェーデンに生まれ、1524年にはローマに渡ってそのまま二度と帰国することなく、1557年にローマで死んだ。問題の著書は、1555年に印刷に付された『北方民族文化誌』である。

北方民族文化誌 (上巻)

北方民族文化誌 (上巻)


その訳書↑というのが、上巻12360円、下巻9785円というたいへん高額な本であるにもかかわらず、なぜか地元の県立図書館にあった。なぜこんな本があるんだ? と一瞬不思議に思ったが、その理由はおそらく「北方民族文化誌」というタイトルだろう。当地の県立図書館は、「北方民族」といわれれば一応もっておかねばなるまいという気になるのではないか?(^^ゞ ためしに愛媛県立図書館のサイトで調べてみたら、やっぱりこの本は収蔵されていなかった。(愛媛を選んだことにとくに理由はない。暖地ならどこでもよかった。)全国の県立図書館の蔵書を調べてみたら、きっと北国のほうがもっている確率は高いと思う。


それにしてもこの邦訳書はバカでかい。無駄なスペースがふんだんにある。コンパクトに作ってくれれば新書二冊に収まったのではないか? そして一冊千円前後で(いや、二千円前後かな?)出たのではないか? わたしはそのほうがありがたかった。なにしろとても興味深い内容なのだ。項目もいちいち心惹かれるが、それだけなく476葉の木版画がすばらしい。平凡社さ〜ん、新書にしてくれませんか〜


で、雪の話に戻るが、雪に関する著述ということですこし歴史をまとめてみよう。(わたしが知ってるものだけ(^^ゞ)以下のリストのなかで、◇印はもっぱら気象学的なもの、◆印は形状に関する記述があるもの。


アリストテレス(384-322B.C.)の気象学(コンシュのギョームの記述と重なるので引用省略)


ルクレティウス(?94-50B.C.)(この項2/22追記:ルクレティウスも書いているという情報をPriapusさんからいただいた)
ルクレティウスは『物の本質について』のなかで6カ所ほど雪に言及しており、その内容は、古代原子論の立場からの、大気・地表における水の循環に関する説明である。たとえば(岩波文庫 p.289 樋口勝彦訳)、

その他、それ自身独立して成長するもの、それ自身独立して生ずるところのもの、又雲の中で形成されるところのもの、即ち、雪、風、雹、及び冷たい霜、さては多くの水を固まらせ、流れ行く川を至る処でせき止めるところの強い力を持つ水など、すべて――実にすべて――は如何にしてできるか、どんな具合に生ずるかは、原子に与えられている性質を充分に理解さえすれば、すべてこれを了解することも会得することも極めて容易なことである。


セネカ(前4/5-後65年)(この項2/22追記:これもPriapusさんから情報をいただいた)
セネカは『自然研究』のなかで雪について論じている。その前半はアリストテレスに依拠した気象学だが、後半が面白い。後半の内容をかいつまむと、「自然に従った食事をしていれば何も問題がないのに、われらが時代の人びとは飽食に飽食を重ねて胃が悪くなっているものだから冷たい雪水を飲みたがり、そのために手間暇かけたぜいたくをしている。挙げ句のはてに、夏にプールに雪を入れて泳ぐやつまでいる(←ネロ帝のこと)」といったこと。ちょっとだけ引用すると(東海大学出版会『セネカ 自然研究――自然現象と道徳生活』茂手木元蔵訳 p.188)

ラケダイモニア人は香料商人たちを都市から追放し、急いでその領域を立ち去るように彼らに命じた。彼らが油を浪費しているという理由からであった。もしラケダイモニア人が雪を貯めて売る店を見たり、凍った水を運ぶために忠実に仕える沢山の駄馬や、またその凍った水を保つために用いる籾殻によって汚された水の色や味を知ったならば、彼らは果たして何を行ったであろうか。


プリニウス(23-79)(以下にべーダの記述があるため引用省略)


◇べーダ(673/4-735)カロリング・ルネサンスの人べーダは修道士のための教科書を書き、その後ラテン・キリスト教世界で広く読まれたという意味で興味深い。文献からの引用だけでなく、みずからの観察も付け加えている。引用は、中世思想原典集成「カロリングルネサンス」より、別宮幸徳訳。

『事物の本性について』第36節 雪について(プリニウス

雪は、水蒸気が滴に凝結する前に、寒気によって冷やされることで形成される。雪は深い海には降らないと言われている。


◇コンシュのギョーム(1090頃-1154頃)引用は中世思想原典集成「シャルトル学派」より、神崎繁+金澤修+寺本稔訳

 雪とはすでに述べた水滴が大きく濃密になる前に凍ったものである。ここで疑問を差し挟む人があろう。「雹は夏に発生することがしばしばであるが、その同じ季節に、山の麓の方ではなぜ降雪はないのか」と。これに対してわれわれはこう答える。夏には、熱によって上昇させられた湿気は、上昇するにつれて水滴へと集まっていき、大きくな
り、冷気によって凍らされて雹にまで発達する。しかし冬には、それが大きくなる前に季節の冷によって凝集させられて雪へと変わる。しかし夏には、冷が大地のあたりには存しないために、高地へ上がったものが大きく濃密化する[つまり雹になる]以外、水滴は凍らないのだ。したがって、夏には雹はしばしば発生しても、決して降雪はないのである。

◆オラウス・マグヌス(1490-1557) 上記本 第二十二章 雪のさまざまな形

……気象学的記述につづいて……
このように上に述べたすべての現象は、さまざまの特別な原因、場所、時、星座のさまざまな影響から起こっているので、どんなに異なった、驚くべき形や姿の雪が到るところで、とくに北方と近隣の国々で見られるかは、周知のことである。それで、芸術家には知られていない沢山の形や姿のものが、なぜ、どのようにして、このようなやわらかい、小さなものに、このように突然刻みつけられるのか、理由をたずねるよりも、驚きのほうが先に立ってしまう。つまりたった一昼夜のうちに十五か二十、時にはもっと多くの変わった雪の形が見られるのだ。さらに少なくない変化が寒さを防ぐためにつくられた入江の小屋の窓ガラスの上にも現れる。というのも、このような場所は法外な寒さに対して暖かく暖められるので、外の寒さと驚くべき自然の巧みさによって、それらのガラスにさまざまな姿が描かれるので、どんな芸術家でもこれを目にしたら、模倣しようとするよりもむしろ、造化の妙に感心するだろう。しかし才能を利用して、これらのうちの多くのものが家を飾り、装飾として熱心に考案され、ほかの国民が祈りや金銭によっても、手に入れることのできない芸術品が完成される。……

この記述とともに、二十三種類の雪の形が版画として描かれている。そのなかには六角形のものもある。


ケプラー(1571-1630)

ケプラーは『六角形の雪について』という論考でそうとう突っ込んだ記述をしており、形状はもちろん、(現在からみれば的はずれながら)生成時の気象条件や、もっと基本的な構成要因についても考察している。さすがだ。


内容を簡単にはまとめにくいが、一応、原文はこちら。(わたしは英訳で読んだ(^^ゞ。が、今、サイトがしまっているみたいなのでラテン語のみ示す。)

http://www.thelatinlibrary.com/kepler/strena.html


デカルト(1596-1650)

白水社 デカルト著作集Ⅰ 気象学 p.274

それは非常に平たく、非常にすべすべして、非常に透明な氷の小さい薄片で、かなり厚い紙ほどの厚みをもち、Kにみられるほどの大きさであったが、完全な六角形をしており、その六辺はまっすぐで、六つの角は相等しく、これ以上正確なものは人間にはつくれないと思われるほどであった。


これ以降の時代になると、たとえばロバート・フックの『ミクログラフィア』のように、なにしろ顕微鏡を使っているので形状もクリアになり、雪研究も別のフェーズに入る感じがする。そしてなんといっても世界的に有名なのは、中谷宇吉郎の研究だ。

雪 (岩波文庫)

雪 (岩波文庫)

オラウス・マグヌスの記述を読んで改めて思うのは、北国の人は昔から(文献には現れなくとも)雪にはさまざまな形状があることに気づいていたのではないかということだ。実際北国に住んでいると、気づかないはずはないと思わされる。


そしてオラウス・マグヌスも言っているように(中谷ダイアグラムにも示されているように)、よく観察するならば、六角形の樹状結晶だけでなく、形状はいろいろなのだ。わたしたちは雪の結晶というと六角形の樹状結晶ばかりを思い浮かべるが、もしかすると雪印乳業のマークに洗脳されているのかもしれない(^^ゞ  あるいは、六角形樹状結晶があまりにも美しいので、それ以外は出来損ないのように思ってしまうのだろうか?