「化学史」と「化学の基礎」

昨日(1月22日)の「読書メモ」に、ブルーバックス『偉人と語るふしぎの化学史』を取り上げたら、それを読んだ人間1が、「主人公が歴史上の人物と対話形式で化学を学んでいくって.....これって、『化学のドレミファ』じゃん」と言う。


人間1は高校のころに『化学のドレミファ』を読んで、いたく気に入ったのだそうだ。そのため、文系だったのに化Ⅱも選択したという(当時文系は生物Ⅱと地学Ⅱを選択する人が多かったそうだ)。


実は我が家では過去にも『化学のドレミファ』のことは何度か話題になり、そのつど人間1から「読んでみて」と勧められたのだが、私はまだ読んだことがなかった。


なんでも、ドルトン先生の指導の下、ひとしくん(中学生)と、ひとしくんのお姉さんであるのり子さん(高校生)が化学を学んでいくのだという。最後にドルトン先生が消えてしまうのが、とても悲しかったそうだ。


それじゃあこの際だから、わたしも名著といわれる『化学のドレミファ』を読んでみようということになった。(ロングセラーだったようだが、現在はusedでしか手に入らないようだ)。

化学のドレミファ〈1〉反応式がわかるまで

化学のドレミファ〈1〉反応式がわかるまで


しかし『偉人と語る……』とは異なり、こちらはあっという間に読むというわけにはいかなかったので、休憩時間や食事時間など、細切れの時間を使って頑張って読んだ(^^ゞ


読んでみてよくわかったのだが、『偉人と語る……』と『化学のドレミファ』は、テーマが「化学」だという以外はまるで違うと言っていい。まず第一に、『偉人と語る……』は、近代化学の確立以前の話であるのに対し、『化学のドレミファ』は、確立以後の知識を学ぶという設定になっていることだ。時期的な区分でいうと、完全に相補的である。


また『化学のドレミファ』は、「反応式がわかるまで」という副題の通り、さまざまな約束事やルールをドルトン先生に教えてもらって、自分なりに納得し、使いこなせるようになっていくプロセスである。たとえば、2H2+O2 → 2H2O を、自力でこの通りに書けるようになるためは、それなりの約束事を身につけなければならない。ドルトン先生とともに17週間、日曜ごとに勉強をするうちには、かなり難しい反応式も納得して操作できるようになるというわけだ。


   ちなみに、『偉人と語る……』にもあったように、ドルトンは実際に、
   下宿や学会の建物の一室で、子どもたちに勉強を教えていたようだ。
   きっといい先生だったのだろう。(ただし歴史的に言って、化学式を
   教えることはできなかったのだが^^;)


一方『偉人と語る……』のほうは、約束事を覚えたりする必要はまったくない。むしろ転回点となった「考え方」を知ることがねらいだ。したがって読者のほうに負荷はほとんどなく、野次馬根性で討論会を見物していればよいから、あっという間に読むこともできる。『化学のドレミファ』は現役高校生にグッドだが、『偉人と語る……』のほうは、現役高校生はもちろんのこと、思想史や科学史に関心のある大人にもグッドだ。


しかしこのたび『化学のドレミファ』も読んでみて、本(今の場合は『偉人と語る……』)の特徴を的確に把握するためには、同ジャンルの既存の良書を知っていることが重要だと改めて思った。『偉人と語る……』の最大の特徴は、(本のなかで何度も出てくるセリフだが)、化学の歴史誕生の瞬間に立ち会うことだったのだ。


むろん、傍観者として立ち会っただけでは足りなくて、約束事は身につけて使いこなせなければならないわけで、どちらも大事だと思う。そういう内容的な面でも、この二冊は相補的な良書だと思う。