『盛期ギリシア教父』

盛期ギリシア教父 (中世思想原典集成)

盛期ギリシア教父 (中世思想原典集成)


コンスタンティヌスの生涯』に関する記事のところで書いたように、コンスタンティヌスキリスト教会内部のすったもんだに乗じて教会構造を利用した面があるようだ。この時代(3世紀半ばから4世紀初めごろ)は、キリスト教神学にとってたいへん重要な時期にあたっているが、わけても三位一体論の基礎がこの時期に作られたことは特筆に値する。


三位一体に関して今日書かれた記述を読むと、歴史上論じられたさまざまな論点がごっちゃになって出てくる面があり、整然としているようでどうもピンとこない。しかし『盛期ギリシア教父』に収められた書簡類や、ナジアンゾスのグレゴリウスによる神学講話を読むと、三位一体がどのへんからどのように出てきた説なのかを生々しく見ることができる。


■2神教、3神教批判に対応するための三位一体


この時代のキリスト教にとって、対抗勢力であった他宗教との教義論争は死活問題だった。なかでもとくに重要なのが、ユダヤ教との対決である。ナジアンゾスのグレゴリウスの講話を読むと、キリスト教にとって、2神教、3神教と批判されることは断じて避けなければならなかった事情がひしひしと伝わってくる。キリスト教は、何が何でも一神教でなければならなかったのだ。なぜそうなのかは、旧約聖書を読めばすぐにわかる。旧約聖書に立脚する以上、断じて一神教であってはならない。


キリスト教内部でも大モメにモメた三位一体


三位一体の教義は、タイトロープを渡るようにしてできたものだということがよくわかる。当時はキリスト教内部でもいろいろな説があった。三位一体とは、「三位一体とは何か」と問われたらば、丸暗記した教義をそのまま答えるしかないような代物であり(間違うと異端になる)、聖書から必然的に導かれることがらではなかった。三位一体は、何度放逐されても不死鳥のように復活して三位一体を説き続けたアタナシウスのような人物がいてはじめて確立できた、諸説のなかの一説にすぎなかった。


■拝む対象は神でなければならない(イエス


それにしても、まだ権力と完全には結びついていないこの時代のキリスト教は潔癖だったなぁと思わされるのは、「拝む対象は神でなければならない」と考えていたことだ。後年(いろいろ理屈はつくにせよ)、マリアを拝み、あまたの聖人を拝むようになるカトリックの流れを見れば、隔世の感がある。

キリスト教は、イエス・キリストを救い主として拝む。それゆえ、イエスは神でなければならない。


■拝む対象は神でなければならない(聖霊


もうひとつ、ナジアンゾスのグレゴリウスの講話を読むと、聖霊が神だという説は、イエスが神だという説よりもはるかに問題アリだったことがよくわかる。なんといっても、聖書のどこにも聖霊が神だとは書かれていないからだ。ナジアンゾスのグレゴリウスはかなり苦しい議論をして(わたしの目には苦しく見える)、「聖霊によって祈りなさい」といった新約の言葉を梃子に、聖霊もまた神でなければならないと論じる。彼による聖霊論は、本書の「総序」で



しかし特に「第五講話」における聖霊論の充実は、カッパドキア教父によってこそ三位一体論が仕上げられたという感を深くさせる。


と書かれており、三位一体の出所を知るには重要な文献であるようだ。


■神学とは後から構築するもの


聖霊が神だなんてどこにも書かれていない」という教会内部の批判に対してナジアンゾスのグレゴリウスが答弁する部分で、キリスト教神学の性格という観点から、わたしにとっては大変興味深い一説があった。



(書きかけ)


↑書きかけと書いてからあっという間に半月が過ぎた(ただいま10月2日)。メモしておきたかったことは、すっかり頭から抜けてしまった(^^ゞ。やっぱり「読書メモ」は読んだらすぐに書かなければだめだなぁ。書いておきさせすれば、あとで読み返したときに、手っ取り早く内容を思い出せるのだから。



ともかく、かすかに覚えているのは、ナジアンゾスのグレゴリウスは、「聖霊が神だなんてどこにも書かれていない(=聖書のどこにも三位一体なんて出てこない)じゃないか」という批判に対して、「聖書に書かれていないなんてことは重要ではない。神学は、聖書の記述とは直接関係なく、がんがん構築していって良いのである」という論を展開していることだ。これはその後のキリスト教神学にとって非常に重要な方向性の設定だと思う。


(この項終わり(^^ゞ)