野村達明『ユダヤ移民のニューヨーク』(山川出版社)

delphica2004-12-05


仕事で出てきたほんの一言の背景がよくわからなかったので、Sakinoさんにブレインストーミングをお願いしたら、「ここらへんかな?」と紹介してくれたのがこの本。

非常に感銘を受けた。知っていたはずのアメリカの歴史、実は何も知らなかったのだということを改めて思い知らされた。アメリカの歴史もそうだが、(旧約聖書にさかのぼる歴史はおくとして)ロシア・東欧からアメリカへ、エリス・アイランドからニューヨークのロワーイーストサイド、そして郊外へというユダヤ人のダイナミックな流れが、定量的に(具体的数字は読むそばから抜けていくのだがσ(--;))見えてくる。

二十世紀前半のアメリカに関連する本を読んだり、映画を見たり、何か考えたりするなら、はずせない本だと思う。

たとえばわたし自身、この本を読んでいて、これまでモノクロだった映像がカラーになるような経験をした。『ユダヤ移民の……』も終わり近い p.194 に、次のような記述があったのだ。

    たとえばドレスメーキングやそれに関連した業種は
    伝統的に女性の職業であった。そこではミシン操作
    職だけでなく、裁断をのぞくほかのすべての仕事を
    女性がほぼ独占しており、女性は権威と威信のある
    地位にまで上昇することができたのある。

これを読んだとき、1939年のある情景がぱっと思い出された。それは『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』(新潮文庫版では、『人はなぜエセ科学に騙されるのか』)の序文で、セーガンが子ども時代の思い出を語る部分である。セーガンの父親は洋服の裁断をやっていて、それを女工さんたちが縫い上げていたのだ。セーガンって、ユダヤ人だったの?(いまごろ〜〜(^^;)☆\バキ)

調べてみたら、セーガンのお父さんはやはり a Jewish garment worker だった。セーガンがさらりと描いてみせた家庭の情景、周囲の人々のようす……それらが、『ユダヤ移民……』に描かれる世界を背景として、生き生きと浮かび上がってきた。セーガンが、自分にとって一番最初の、そしてもっとも重要な教師だったと言うの両親は、まさに1920〜30年代ニューヨークの衣服労働者の文化の中にいたのだ。

関連文献をいくつか挙げておく。

『金のないユダヤ人』
マイケル・ゴールド著 坂本肇訳 三友社出版

  まさにニューヨーク・イートサイドの東欧系ユダヤ
  家庭の自伝的小説。『ユダヤ移民の……』の俯瞰的記
  述と合わせて読むと面白さ倍増!

アメリカのユダヤ人迫害史』
佐藤唯行著 集英社新書

   都会的で資本主義的で国際的なユダヤ
   中西部の農村に住む本当のアメリカ人
  という、仮想的対立構図がよくわかる。ここで仮想的
  というのには二重の意味がある(とわたしは思う)。
  ヘンリー・フォードのような人間がこの構図にのっか
  ってユダヤ人を攻撃するのはお笑いだが、歴史は笑っ
  てはすまされない事実に満ちている。 

『シンス・イエスタディ 1930年代アメリカ』
F.L.アレン 藤久ミネ訳 ちくま文庫
『オンリー・イエスタディ 1920年アメリカ』
同上

  この二冊は、ずいぶん前に入手し、いつも目次だけ見て
  「おもしろそー、読まなくちゃーー」と思うのだが、分
  量が多くてなかなか通読できない。目次を見ながらその
  都度参考にする本ということか(^^ゞ